学習指導要領 / 教育の情報化

特集ニューノーマルにおける学校教育<前編> コロナ禍の教訓を生かし、持続可能な新しい学校の姿を

2020年、コロナショックによって全国の学校は当初の予定どおりに教育課程を進められませんでした。学校行事は中止、もしくは感染防止対策を徹底し、規模を縮小して実施することが余儀なくされました。
しかし、先生や子どもたちが工夫して取り組んだ授業や学校行事について、「想像以上の成果が得られた」「子どもの学びにつながった」という報告が全国からたくさん寄せられています。
「ニューノーマル」と呼ばれ、新たなスタンダードが確立されようとする今、学校教育はどのようにあるべきでしょうか。今号では、コロナ禍の学校の取り組みから得られた2つの大切な視点をお伝えします。

奈須 正裕

上智大学 教授

国立教育研究所教育方法研究室長、立教大学教授などを経て2005年より現職。新学習指導要領に関わり、中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会をはじめ、数多くの部会に参加。小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議や2020年代に向けた教育の情報化に関する懇談会などの委員も務める。

視点1歴史的に定着した学校の役割や学校行事の在り方を見直す

多くの機能を担う日本の学校

以前から日本の教育には、さまざまな問題があるといわれています。

しかし、学校現場の感覚としては、子どもや保護者、地域からは「細かな点で不満はあるが、大枠では学校は良くやってくれている」と思われている。非常に厳しい状況のなかで、学校、教員は頑張っていて、比較的にうまくやれているはずだ、という感覚だと思います。むしろ、昨今は学校の体質が「ブラック」であると指摘され、周囲から心配する声が上がっているほどです。

日本の学校の教員は、「子どものためならば」とどこまでも頑張ってしまう傾向があります。事実、日本の教員は、「学校が本来やるべきだ」と国際的に考えられていること以上に、さまざまな職務をこなしており、国際的な「学校教育」の常識とは大きな隔たりがあります。

これは日本の学校が、長い歴史のなかでその時々の社会の要請に応えて、多くの役割を受け入れ、担ってきた結果です。

しかし、学校や先生が「子どものため」と想い、さまざまに担ってきた役割は、コロナ禍によって一変しました。「感染リスク」によって、さまざまな対応ができなくなり、むしろ対応しない方が良いとなったのです。

半日の運動会、来賓の挨拶のない卒業式。コロナ禍で学校行事が変化

このような事実を見ると、コロナ禍は「ピンチ」なのですが、学校教育の在り方を根本から見直すことができる「チャンス」でもあると考えられます。多くの役割を抱え、守備範囲が広がりすぎている学校教育について、教職員の働き方改革に向けて、見直しを進めるべきです。

例えば、今年最も実施できなかったのは「学校行事」です。徹底した感染防止対策の下、予定どおりに終日の運動会を開催した学校もあれば、中止や午前中のみの開催にした学校も多くありました。

それでも、保護者や地域の方から「今年の運動会は華がなかった」とか、「盛り上がりに欠けた」という批判があったかというと、ほとんどなかったのではないでしょうか。むしろ午前中で、少ない競技数だからこそ、子どもたちは集中して頑張れたし、応援にも一層力が入っていたと思います。そもそも、一日中応援するのは、大人でも大変なことです。短い時間だったからこそ、濃密な時間になったのではないでしょうか。

実際、保護者や地域の方から伺うのは、「これまで丸一日見ているのは大変だった」「午前中だけだから、頑張って年休を取って見に来られた」という肯定的な声です。しかも、お昼で運動会が終われば、低学年の児童は、そのまま保護者と一緒に帰ることができます。

ほかにも、卒業式や入学式も変わりました。外部の人を学校に入れられないので、多くの学校では「来賓の挨拶」がなくなりました。こうした変化に対して、こちらも否定的な意見は寄せられていません。

そもそも教育委員などの方々が一生懸命考えられた素晴らしいお話も、小学校低学年の児童にはなかなか理解しづらいものです。中学生であっても、初めて出会う見知らぬ大人の話から意味を見いだすことは難しいのではないでしょうか。これは大人、つまり教員や保護者も同じだと思います。

また、来賓の訪問がなくなったことで、卒業式における教頭先生の仕事も減り、教頭先生の業務改善につながっています。

訪問する来賓にとっても不都合はありません。もちろん、学校行事に来賓として呼ばれることは大変光栄なことです。みんなでお祝いすること、行事に参加することはとても良いことです。ですが、行事に呼ばれなかったからといって、来賓の方々が何か困るというわけでもありません。

今回のコロナ禍によって、これまで学校教育の長い歴史のなかで継続してきたさまざまな行事を変えたり、止めたりしても特に支障がないことが明確になりました。

視点2「子どもの学び」から学校行事の在り方を見直す

子どもに学校行事の企画や運営を任せる

もう一つの視点は、学校行事などに「子どもを積極的に参画させる」というものです。運動会や卒業式、入学式が小規模になると、企画を減らさなければなりません。どのような企画が良いのか、教員が子どもと一緒に考えたり、子どもに任せたりする学校が増えました。

例えば、ある学校は運動会が半日になり、トラック競技しか行わないことになりました。その学校の先生は、応援の仕方や運営の方法、さらにはプログラム全体について子どもと相談して決めていったのです。

卒業式でも同様の取り組みが見られました。短い時間で式を実施しなければなりませんから、企画を絞る必要があります。ある学校の先生は、「どのような卒業式にしたいか」「小学校6年生や中学校3年生の卒業生をどのように送り出したいのか」と子どもたちに尋ね、一緒に企画を練りました。

子どもは、大人では思いつかないような視点を持っています。良いアイデアが生まれ、そこから発展して、子どもが運動会の運営を考えて、取り仕切ったという事例もありました。本当に素晴らしい取り組みが生まれています。

もちろん、子どもがやることですから、もたつくことや拙い部分はあります。でも、そこには子どもの頑張りや工夫がたくさんありました。強い連帯感も生まれていました。

学校行事自体の見栄えは下がったかもしれません、あるいは華がなかったかもしれません。時間も短かったかもしれません。

しかし、先生や子ども、保護者の充実度や満足度、感動。そして、最も大切な子どもへの教育的な成果を考えれば、コロナ禍の取り組みは、むしろ良かったといえるのではないでしょうか。

コロナ禍の苦しい経験を踏まえた、
新しい形の学校行事の実現を
選択肢に加えてほしいのです。

生徒主体で運営する「陸上競技の記録会」

修学旅行を中止にしたり、縮小した学校が多くありました。子どもが楽しみにしている行事ですから、実施できなかったことは、とても残念なことです。

そうしたなかで、運動会や卒業式と同じように、修学旅行の企画やそれに代わる行事について子どもに相談し、さらにはある程度を「子どもに委ねて実施」した事例が多く寄せられています。

私が最も感動したのは、修学旅行が中止になった中学校で、生徒の発案で市内の陸上競技場を借り切って陸上競技の記録会を実施したという事例です。生徒たちは本式のトラックを使ってさまざまな陸上競技を実施。記録を取り合い、競い合ったのです。2020年度は運動会も陸上競技会もありませんでしたので、生徒たちは思う存分行ったそうです。

もちろん陸上競技の記録会の運営も、すべて生徒たちが行いました。感染防止対策をとりながら、本式の陸上競技場できちんとした記録会を行えたのです。

修学旅行で遠くの名所や旧跡、文化財に触れることは貴重な体験です。けれども、それができないからといって、生徒たちの思い出や記念に残るような学校行事ができないというわけではありません。そして、修学旅行に行けなかったとしても、生徒の学びに何か大きな不都合があるわけでもありません。

陸上競技の記録会の事例は、工夫次第で学校行事や修学旅行がより充実した内容になること。さらには教育的な効果を高められることを教えてくれています。

このような事実も踏まえて、コロナ禍を超えたこれからの学校教育を考えたいのです。コロナの問題が解決すれば、“これまでどおり”の終日の運動会に戻すのでしょうか。以前と同じような卒業式に戻すのでしょうか。あるいは2泊3日の修学旅行に戻すのでしょうか。

もちろん、元に戻すこと自体が悪いわけではありません。例えば、半日の運動会をこれからも続ける。子どもたちに任せる卒業式にする。子どもと修学旅行の企画を考える――、コロナ禍の苦しい経験を踏まえた、「新しい形の学校行事の実現」を選択肢に加えてほしいのです。“これまでどおり”が、本当に良いのかどうか。問い直す良い機会だと思うのです。

学校行事やそのための練習時間がなくなり、落ち着いて学習に取り組めた

授業にも良い変化がありました。

2020年度当初は、「授業時数が足りない」といわれていました。しかし、先生方が教える内容をうまく圧縮し、これまで以上に授業時間を大切に使ったことで、今、授業が遅れているという話はほとんど聞きません。学習内容や学習成果の面でも良くなかったという話もほとんど聞きません。

これまでの2学期は学校行事に追われ、子どもが落ち着いて学習できませんでした。むしろ、今年は、学校行事やそのための練習などの時間が少なくなり、子どもが落ち着いて学習に取り組めるようになりました。

「教科の勉強がこんなに面白いと思わなかった」と子どもがうれしそうに話しているという話も聞いています。

授業においても、“これまでどおり”に戻すのではなく、「時数の使い方を見直す」「学習内容を圧縮する」といった新しい選択肢があるべきだと思います。

また、運動会や修学旅行、学芸会など学校では、さまざまな学校行事が行われていますが、皆さんはその出自をご存じでしょうか。

例えば運動会は、そもそも戦時中に軍事教練を学校に持ち込んだことが始まりでした。もちろん、今、軍事教練として実施している学校はありません。しかし、教科学習の時間を大幅に割いて練習して取り組むべきことなのかどうか。考える余地はあるように思えます。

修学旅行や遠足も、極端なことをいえば福祉事業のようなものでした。昔は格差が大きく、貧しい家庭では遠くに旅行することはできませんでした。また中学校を卒業すれば、すぐに就職をする子どもたちばかりでした。それではあまりにもふびんだということで、学校でお金を積み立て、先生が友だちと一緒に旅行に連れて行ったのです。それが修学旅行となり、今でも継続されているのです。

学芸会の発端は、明治時代にさかのぼります。当時は学校という制度ができたばかりで、地域や保護者からなかなか信頼を得ることができませんでした。そこで学校は、学芸会を開き、歌や劇、踊りをする子どもの姿を地域や保護者に見せ、信頼を得ようとしたのです。もちろん、今行われている学芸会は、当初のような目的ではなく、教育的な意味を考えて取り組まれています。

学校行事を見直す際は、ぜひその出自を踏まえて、時代に沿った最適な在り方を考えてほしいと思います。

学校行事で大切にすべきなのは、
形でも見栄え、でき栄えでもなく、
子どもの学びや育ちである。

学校ニューノーマル。持続可能な新しい学校をつくる

日本固有の、伝統的な教育活動には、さまざまな教育的な意味が含まれています。例えば日本の学校を訪れた外国人は、小学校1年生が給食を配膳する姿を見て、大いに感動するのです。実は、このような給食指導をしている国は、日本以外、世界のどこにもありません。

日本の子どもたちは、給食の配膳を通じて、社会性や感情の調整、役割を取得して社会のために貢献するといった力を身に付け、さらに公正さや思いやりを持って丁寧に取り組む態度が養われているのです。教科の授業以外のさまざまな活動の中で、子どもたちは確実に育っています。授業以外の取り組みが重要であることは間違いありません。

けれども、学校全体としては少しやりすぎていたのではないかと思うのです。私たちはコロナ禍によって、学校行事が大切にすべきものは「形」でも「見栄え、でき栄え」でもなく、「子どもの学びや育ち」であることに気がつきました。学校行事など、学校の判断に任されている部分については、ぜひ育てたい子どもの姿を明確にし、各校で工夫して取り組んでいただきたい。そして、新型コロナウイルス感染症を前提にした新しい社会生活「ニューノーマル」を超えて、持続可能な新しい学校の姿「学校ニューノーマル」を作り上げてほしいと思います。

(2021年4月掲載)