学習指導要領 / 教育の情報化

対談 AI時代の個別最適な学びと協働的な学び (令和5年度情報教育対応教員研修全国セミナー「NEXT GIGAフォーラム」より)

児童生徒1人1台端末の活用が全国で進んでいます。「個別最適な学び」と「協働的な学び」とはそもそも何なのか。これらを一体的に充実するとはどういうことなのか。さらに、それらと1人1台端末をどのように絡めていけばよいのか。中川 一史 放送大学 教授と奈須 正裕 上智大学 教授に語っていただきました。

中川 一史

放送大学 教授

奈須 正裕

上智大学 教授

“教え込む”から“学びとる”への転換が必要

中央教育審議会(以下、中教審)の答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」では「自ら課題を見つけ,それを解決する力」や「他者と協働」する力、あるいは「自ら考え抜く学び」の重要性が言及されています。また「同調圧力」という非常に強い言葉が用いられており、子どもだけではなく、保護者や教師も同様であると指摘されています。これを踏まえ、私は「“教え込む”から“学びとる”へ」の転換が求められているのだと捉えています。

また中教審の答申では、「個別最適な学び」を「指導の個別化」と「学習の個性化」に分けて示しており、さらに「学習の個性化」の中に「自己調整力」に関する記述があります。「子供自身が」と書かれているように、子どもを主語にすることが大事です。

ただ、1人ひとりが「自分のペースで取り組んでいる」ことを指して「個別最適な学び」だとする場合が多いのですが、それは本当に「自分のペース」なのか。そのことを問い直すのは、一体誰なのでしょう。また「自分の選択」と言っている場合も同じです。子どもたちの選択は、本当に適切な選択になっているといえるのか。 教師が「なぜ、それを選んだの?」とひと声掛けているでしょうか。こうした一つひとつが、より自覚的になっていなければならないと考えています。

これまで、「子ども主体の学び」を研究テーマに取り組まれた研究授業をたくさん参観しています。いずれも素晴らしい授業ばかりなのですが、教師が授業をコントロールしようとする場面が多く見られました。こうしたことから「子ども主体の学び」を具現化することの難しさを感じています。

例えば、ワークシートを用いる学習活動は多いですが、ワークシート上にあらかじめ用意された“枠”はいつなくなるのでしょうか? この枠は、教師が構造を示していることを意味します。一方、われわれが普段メモを取るときにはこうした枠はありません。自身で情報の構造化も含めて行うはずです。

つまり、真面目で一生懸命な教師ほど、よかれと思って「手取り足取り教え込んでしまう」という側面があることが否めないということです。誤解を恐れずに言うなら、私は「日本の教師はもっと不親切になっていい」と感じています。

なぜ、教師が不親切になれないかを掘り下げると、それは「子どもを信用できていない」ということの裏返しではないかと思います。決して、子どもたちは「できないだろう」と思っているわけではないのですが、「“私が思うようには”できないだろう」と思っている部分はあると感じます。つまり、子ども主体といっても、45分後“私がたどり着いてほしいところに”、それぞれのタイミングで、それぞれのルートで来てほしいと考えているのかもしれません。しかし、それは「個別最適な学び」とはいえません。

特に気になるのは、教師が学びを1単位時間で捉えているという点です。単元を一つのまとまりとするのを前提として、実施の都合上45分間に分けているだけだと捉えることが重要です。そういう意味で、1単位時間ごとの「まとめ」はなくてもいい。わずか45分間の「めあて」「振り返り」を重視するあまり、毎時間そこにたどり着かなければならないと考えてしまえば、結果として授業が萎縮してしまいます。一斉指導であれば可能なのかもしれませんが、個別最適な学びの実践では時間が足りなくなるのが当たり前です。

子どもたちは「この時間に何を学んだのか」を自分で沈めていきます。そして、次に向けた「めあて」を自分で持ちます。それでもなお、全体に対して「分かりましたか?」と、教師がまとめを板書して示すというのは、ある意味自信のなさの表れだといってもいいのではないでしょうか。

環境による教育へ

いきなり極端な話をしましたが、そのくらい振り切る必要があるということです。「一斉指導を乗り越える」ことは、形式的な取り組みでは不可能です。ICTを使えばいいという話でもありません。45分単位で教師が考えたとおりになるという考えを改め、少なくとも単元単位で考えなくてはいけません。例えば、図画工作は自由進度ですが、それと同じように捉える。「子どもに学びを返す」ということは、そのくらい抜本的に意識を変えなければ実現できないと、私は考えています。

「個別最適な学び」を新しい概念のように受け止めている方もいるかもしれませんが、実際には100年以上前から実践されてきました。つまり、現在はICTを活用しながら個別最適な学びに取り組んでいますが、実はICTがなくても実践できるということです。実際に、私たちも長年実践してきました。だからこそ、1人1台端末をはじめとするICTが学校に整備されたときに「しめた!」と感じたのです。かつては大変な手間暇をかけて実践していた個別最適な学びのハードルが、ICTによって一気に下がるからです。

そこで大切なのは、個別最適な学びの原理を知ることです。それは幼児教育でいう「環境による教育」です。幼稚園教育要領に「環境を通して行うものであることを基本とする」と示されているように、適切な環境があれば子どもは環境に関わりながら学びます。つまり、幼児教育が環境による教育を基本としているのだから、小学校でも同じく取り組もうというだけの話です。そして「環境」の一つに1人1台端末があり、クラウドがあるという位置づけです。それを、先に「ICTの活用」というから、かえって本質が分からなくなってしまうのだと思います。

写真1は幼児教育の環境ですが、子どもたちの都合やタイミングで、どんなものにも自由にアクセスして自分たちで学べます。なぜなら幼児教育では「子どもは有能な学び手だ」と考えているからです。それを小学校でも実践することが重要です。

写真1幼児教育においては「環境による教育」を主要な方法としている

写真2は小学校の社会科の様子ですが、多くの学校にこういう教材はあると思います。ICTだけではなく、アナログの操作教材などもたくさんあるでしょう。そうしたものすべてを学習空間内にちりばめて、子ども自身で時間を刻みながら非同期に学べる環境を整え、単元レベルで課題を出す。例えば、歴史の8時間の単元ならば「縄文時代とはどんな時代ですか?」「弥生時代に変化した理由は何ですか?」「その変化は人々の暮らしにどういう影響を及ぼしましたか?」という3課題を、8時間を通して学ぶというかたちです。

写真2 小学校においても、さまざまな「環境」が存在している

「個別最適な学びにおいて、教師は子どもたちをどのように支援すべきか」という議論も耳にしますが、もし何も支援せずに子どもたちが学べるのであれば、それが最善だと思っています。では教師は何をするのか。子どもたちが一生懸命に学んだり深めたりする様子をよく見取ることです。よく見て、気づいて、どうしようもないというときに支援をするというのが基本です。

結局、教師の役割は重要ですね。

そのために大事なのが徹底した情報開示です。単元指導案を子どもに渡し、何を、なぜ、どのように学ぶのかを明確に示す。それが、子どもたち1人ひとりが「学び」という旅をするためのガイドブックになります。そして単元全体を通し、「先生が準備してくれた教材の中から、どのタイミングで、どれを使って、どんなふうに勉強するのか」という見通しを子どもたちに立てさせる。今は、このレベルの自己調整学習が求められています。15分程度の調整ではありません。

もちろん、教える教育は引き続き大切ですが、環境による教育をレパートリーに加えることには本気で取り組む必要があります。それが「個別最適な学び」と「協働的な学び」にとって重大な要素であり、その基底にあるのが「子どもは生まれながら有能な学び手である」という理解です。

アナログ時代の個別最適な学びは、教師が用意した環境の中で宝探しをするようなものでした。また、教師の負担が非常に大きいため、継続が難しいという課題がありました。しかし現在は、1人1台端末やインターネットをはじめとするICTを活用することで、子どもたちが自由に世界とつながり学びの旅ができる環境があります。たまに遭難することもあるでしょう。しかし学校という学びの場で、そうした経験をすることも大事です。いずれにせよ、ICTは個別最適な学びを圧倒的に推進してくれると考えています。

「子どもは有能な学び手である」
という理解が基底にあります

奈須 正裕 先生

子どもの視点から授業を見る

奈須先生がご用意された資料に、1990年にロバート・K・ブランソンが提起した「学校教育の過去・現在・未来のモデル図1」がありますが、私がさまざまな学校を訪問し、参観する授業の多くはまさに「現在のパラダイム」に当たる授業です。その中で「いい授業をするね」と高く評価されている優秀な教師ほど「現在のパラダイム」から離れにくいという現実があることを感じています。この状況から、さらに「情報技術パラダイム」に移行するためには、何が必要だと考えられますか?

図1 学校教育の過去・現在・未来のモデル(Branson,1990)

ブランソンが示した「情報技術パラダイム」に移行するというのは、子どもたちが学習対象である「経験」や「知識」にいつでも自由にアクセスできるようにすることです。その方法が、先ほどの「環境による教育」というアプローチだといえます。それはアナログでも実践することが可能ではありますが、ICTを活用することで「環境」を世界につながるデジタル空間にまで広げられるのです。

例えば、子どもたちの声を聞きながら「今のみんなの考えを聞いていると、こういう問いが成り立ちそうですね。では、ここからはこの問いを新しい学習課題として深めていきましょう」という場面がよく見られます。これはとてもいい授業だと思います。まさに日本のお家芸ともいえるし、海外からも高く評価されています。しかし、先生が「これを深めていきましょう」と言ったとき、8割の子どもは「そうだ!」と思っているかもしれませんが、2割の子どもは「違うんじゃないか」と考えているかもしれません。これが一斉指導の原理的限界だといえます。それに気づけるかどうかが、パラダイムシフトの鍵を握ると思います。

教師が会心の授業を行っても、うまくできていない子がいる。あるいは同調圧力が働いて忖度させてしまっているという場合もあるでしょう。研究授業などで同僚の授業を見ていると、それに気づけるのですが、自分ではなかなか気づけません。ですから、ぜひ「教える側から授業を見る」のではなく「学ぶ側から授業を見る」ということを、授業研究の中で取り組んでもらいたいと思います。

そういう意味で、授業研究って本当に大事ですね。そして、そういった部分にこそ「ちょっと待った」という声が上がり、話題に取り上げられるような授業研究であってほしいと思います。

「先生が何をしたのか」ではなく「子どもがどう学んだか」に着目することですね。特に、うまく学べずつらい思いをしている子どもが、どのように学んでいるかをよく見取ることが大事です。すると、いろいろなことに気づき「頑張っているのに申し訳ないな」という気持ちが湧いてきます。そこから「環境による教育」や「個別最適な学び」「ICTの活用」などのポテンシャルが見えてくると思います。

こうしたパラダイムシフトは、全部を移行する必要はないと思います。しかし、一部であっても移行することが重要で、実践すれば子どもたちの様子は目に見えて変わります。そして、子どもたちが変わることで、教師はうれしくなるものです。そうやって、だんだんと広げていくのが良いのではないでしょうか。

ICTで個人思考の充実を

私は、冒頭で「ワークシートの“枠”はいつなくなるのか」という話をしましたが、子どもたちがメモ力を身につけることが必要だと考えています。奈須先生がお話しされたように、子どもたちが自分で単元の見通しを立てて学びを進めていく上で、都度生まれた気づきをメモとして残すことが重要になると思います。

こうした“ちょっとメモ”という点は、これまであまり意識されてこなかった部分ではないでしょうか。ICTの活用が進むことによって、「共有」という部分については大きく進展しているものの、個別最適な学びに取り組むなかで得られた気づきをメモし、自分の考えを可視化することの大切さを考えたいと思います。

私は、図2の中でも「個人思考(自身との対話)」が大事だと考えています。それぞれの方法で、それぞれのタイミングで、学びを進めながら個人思考を十分に深めていくこと。すると、その後の共有による触発が活性化し、新たな気づきが本人に返る。そうした往還がとても重要になると考えています。

図2 個別最適なメモ力の育成。メモなどを用いた個人思考(自身との対話)を見直すことが大切に

メモはとても重要ですね。今自分が行っていることをモニターして、自己制御する機会になります。メモは、気づいたときにその場で書くことが基本ですから、それらを振り返ってメモの全体像をつかみながら、また気づくということにつながっていきます。

また、それを共有できることも非常に大事だと思います。例えば「ある友達の意見にハッとさせられた」という経験。さらに「なぜ、そのように考えたのだろうか」と考えること。それらを踏まえることで、自分の学びの特性や在り方、成長したい点、友達の学びから学んでいることなどを深く省察することができると思います。

そのとおりですね。自分だけで終わらずに、ICTの特性でもある「共有の仕組み」の中で、リアルタイムに見えることで「これはどういう意味?」という対話が生まれるのがとても大切だと思います。私が共同研究に携わっている『SKYMENU Cloud』の[気づきメモ]はこの観点からネーミングされています図3

図3 『SKYMENU Cloud』の機能[気づきメモ]は個人思考と共有のどちらでも活用できる

もう一つ、奈須先生も個別最適な学びはアナログでも実践できるが、非常に大変だったとお話しいただいたとおり、1人1台端末などのICTがなくても授業はできます。しかし、ICTがあるからこそ「しやすくなること」はたくさんあります図4

例えば、子どもたちがデジタル教科書にためらいなく書き込む場面をよく見かけます。それはなぜか。消しやすいからです。そして必要ならばスクリーンショットを保存して残せばいい。手軽だからこそ、どんどん書き込めるわけです。そうすると教科書の使い方が変わります。そう考えると図4に挙げた「7つのしやすさ」をどれだけ洗練できるのかが、これからますます重要になると思います。

端末活用7つのしやすさ

その1 : 書きやすい・消しやすい
その2 : 動かしやすい・試しやすい
その3 : 共有しやすい・連動しやすい
その4 : 大きくしやすい・着目しやすい
その5 : 繰り返しやすい・確認しやすい
その6 : 残しやすい・比べやすい
その7 : 説明しやすい・まとめやすい

図4 ICTを活用することで、さまざまな活動がしやすくなる

教師が授業をどうデザイン
するのかが重要になります

中川 一史 先生

教師の存在は欠かせない

ICTは良い意味で軽薄短小です。私もこの手軽さが重要だと思います。情報社会がますます進展していくなかで、単位時間の情報処理量を増やさなくてはいけないし、同時に情報処理の確実さと多面さ、深さを担保していく必要があります。そこは、かつて経験主義、子ども中心主義をめざしていたときの学びとは質が異なると思います。

一方で、沈思黙考して自分と向かい合い、対象と対話しながら自分なりの決着をしっかりつける時間も必要だと思います。

そのとおりです。先ほど図2の中で個人思考が大事だと話したのは、まさにその点です。いつも見えてしまうことで、じっくりと考える前に思考が停止することもあります。そういう意味で、教師が授業をどうデザインするのかということが重要になると感じます。「個別最適な学び」と「協働的な学び」を一体的に充実させるために、やはり教師なしには語れないと思います。

繰り返しになりますが、「個別最適な学び」や「協働的な学び」は決して新しい概念ではありません。日本でも150年間の学校教育の中で取り組まれてきたことであり、大正期、木下竹次が「学習原論」という著作の中でも言及しています。つまり教育の原理というのは長い時間をかけて構築されてきたものだということです。

その中で、唯一新しいものがICTです。かつて私たちが、個別最適な学びを実践するために複葉機で飛んできたとすれば、その横をジェット機が追い抜いていくくらいの違いを実感しています。ですから、今私はICTを一生懸命学んでいるところです。若い先生にも多くのことを教わりながら、一緒に取り組んでいきたいと思っています。ぜひ、みんなでいいかたちにしていきたいと思っています。

(2024年5月掲載)