学習指導要領/教育の情報化

長期の臨時休業における学校の取り組みから学ぶ 私の視点 今、学校にできること

石井 英真

京都大学大学院准教授

遠距離恋愛のごとく子どもを想うことから

心を通わせるために手を尽くす

オンライン化が課題のなか、タブレットの未整備、家庭の情報環境など、ハード面の問題が注目されがちです。しかし、それらは予算や時間はかかるものの、いずれある程度は克服されていくでしょう。より深刻なのは、できるところから始めようとしても、その選択肢自体を放棄する。つまり、挑戦のためのリスクを取らない、というか取れなくなってしまった、コロナ以前から続く学校の萎縮と硬直化にあるのではないかと思います。これらは、時間だけでは解決しがたく、学校に本当の意味での挑戦の自由が担保されないと難しいでしょう。

ずるずると延長される休校に、準備してはご破算にされる状況で、先生方も疲弊し、諦め、思考停止状態になっているようにも思います。今、学校の取り組みとして一番大事なことは、子どもを想うことから始め、心を通わせるために手を尽くす。それで子どもも保護者も教師も「こころの温度」を上げていくことでしょう。プリントだけ渡されて音沙汰がなく、保護者からは学校現場の苦労も見えず、不信感だけが募るという状況は一刻も早く何とかしなければなりません。公立学校の強みを生かす上でも、学校レベルでは、むしろアナログに、それぞれの子どもや家庭に丁寧に「安心」を届ける取り組みが大事なのではないでしょうか。

例えば、遠距離恋愛のごとく文通から始めたり、「あのね帳」的に子どもたちの日記や作文を集めて文集にして、学級通信の紙の上での交流を重ねたりする。通信添削のように、ドリル的な課題も添削して花丸や一言コメントをつけて返したり、考える過程を表現する問題に取り組むように促して、その考え方をプリントにまとめて紹介したりする。オンラインでなくても、まずは紙の上で、教師と子ども、子どもと子どものつながりを作っていけるのではないかと思います。

「こころの温度」を上げる

つながりをつくり、発展させる

一週間に一往復でもよいので、心を通わせる工夫も有効でしょう。作文も誰かに見てもらいたいから書く気になるのであって、学びの宛名があることが大事です。特に、親や教師以上に、クラスメートという宛名が持つ意味は大きく、学びや生活の励みになります。お互いに触れあいたいと思うのであれば、書かれたものや声を聴くところからつながりを作る道を模索する。そのつながりによって、学校に行きたいな、一緒に勉強したいなという想いに発展するのだと思います。「こころの温度」という点では、オンライン授業も、どこの誰だかわからない人の授業ではなく、失敗しながら泥臭くてもいいから、担任がコミュニケーションの一環として素朴な授業を届けるという視点も必要でしょう。

オンライン授業のクオリティについては、民間で作りこまれたものもすでに多数存在しますから、そこで張り合うのではなく、各自治体が組織的に整備を進めているものも含めて、既存のいろいろなコンテンツを上手に活用しながら、でも、要所で、知っている先生とクラスメートとが一緒に過ごす機会を持つ。そうした匙加減ができるとよいと思います。

教師の仕事の原点を再確認

保護者は学習面のフォローもそうですが、生活リズムを心配していますし、何より「安心」を求めています。できる限りのことに取り組むことで、保護者の不公平感も緩和されるでしょう。そして、先生方自身も、不安と疲弊の中で、同僚とLINEなどでつながって、「自分だけじゃないんだ」と思えることが、元気や安心につながるでしょう。先生同士がつながるのにオンラインのツールを使うことで、子どもや家庭とのつながり方のアイデアも生まれるでしょう。

学校改革一般のセオリーでもありますが、「教師の学びと子どもの学びは相似形」です。安心を届ける心温まる取り組みを、さまざまなレベルで立ち上げていくことで、教師のみならず、子どもたちもまた、自分たちでも現状を動かせるという手ごたえが得られるのではないでしょうか。

今改めて、学校の機能と役割が問われていますが、休校以降、社会が実感したのは、学校の保護機能の潜在的な大きさでした。安心とつながりの保障は、ケアや保護の機能の核心であり、心を通わせる取り組みを積み重ねながら、他方、教育機能の点では、ただ課題やコンテンツを届けるだけでなく、それらに持続的に取り組むような仕掛けを考え、学んだことを表現する機会をつくるなどして、子どもたちに何事かを残すことが重要です。子どもたちの想いに寄り添い、その立場から考えていくという教師の仕事の原点の再確認が必要です。

世間の学校不信、萎縮してきた学校現場、挑戦する勇気を萎えさせられてきたこの状況を打開できたなら、そこにはもっと自由で、本当の意味で子どもも教師も学びに向かえる学校の可能性が拓けます。そこに公教育全体がオンライン化に取り組むことが生み出す、人的・物的な巨大なリソースが加わることで、スマートに実装した、教育機能と保護機能において「大きな学校」が立ち現れる可能性を期待しています。

(日本教育新聞社(2020年5月18日)より転載)