学習指導要領/教育の情報化

これからの教育とICT活用

講演活動や授業参観で教育長自らタブレットを使う

柴原先生とICTの出会いについて教えてください。

ICTという言葉が出てきたのは、つい最近ですよね。いわゆる電子機器との出会いは、私が大学生のときですから、もう40年以上前になります。当時、パソコンなどはなく、FORTRANでプログラムを書いて、それを電子計算機で実行していました。実行結果がわかっていても、実際にその通り動くことが嬉しくて、その頃から電子計算機は面白いと思っていましたね。ICTを本格的に使い始めたのは、平成4年のインターネットが始まった頃です。当時は、インターネットが教育に有効なのかどうかという議論がありました。そのとき、まずは教師自身が体験しなければ良し悪しを判断できないと思い、自分でホームページを作ったりしていました。もちろん当時は、ホームページ作成ソフトウェアなどはありませんから、自分でソースを編集していました。

柴原先生は、今、授業参観に頻繁に行かれていて、その際には必ずタブレット端末を持参されています。授業の様子をタブレット端末のカメラで撮影したり、気がついたことをスタイラスペンでメモしたりしていますよね。

やはり自分で体験してみなければ、人には勧められないと思います。それは教育政策を考えるときも同じで、どのような端末の、一体何が良いのかがわからなければ政策を考えられません。今、タブレット端末は授業参観に限らず、仕事のほぼ全般で活用しています。紙のメモ帳やスケジュール帳はほとんど使っていません。

柴原先生の「自らやってみる」という姿勢に関してさらに言えば、教育長自ら茨城県内各地で講演をされていますよね。どのような思いで取り組まれていますか。

先生方から見れば、教育長が一体何者で、どのような人物なのかはわからないものだと思います。私自ら情報を発信することで、教育長が何を考え、何を進めようとしているのかをより多くの先生方に知ってもらいたい。また、今、教員はマスメディアからのさまざまな報道によって自信を無くしていますから、「教員っていい仕事なんだよ」というメッセージを先生たちに送りたい。そんな思いで取り組んでいます。そして、私がICTを使ってプレゼンしたり、授業参観をしたりする姿を見せることで、ICTは文房具の一つであり、当たり前の道具であることを感じ取ってほしいと思っています。

新学習指導要領の最大のターゲットは「高等学校」

新学習指導要領の改訂の経緯として、これから子どもたちが成長する世の中は、これまでの私たちが誰も経験していないような世の中であり、どんな問題が起きるのかは予測不可能であると記されています。その中で情報活用能力は、言語能力と同様に「学習の基盤となる資質・能力」として位置づけられています。情報機器を活用したり、そもそも情報というものをどう捉えるのか、また情報の真偽を見定めて受信したり発信したりすることも重要です。大きく言えば、将来にわたり他者との共生を意識した自己実現や新たな価値を創造する力の育成が求められています。

さらに、情報機器についていえば、文部科学省「平成29年度学校における教育の情報化の実態等に関する調査結果(概要)」の結果によると、可動式PCの整備台数が851,756 台となっており、茨城県も含めて全国的にかなり進んできています。

こうした状況のなかで、新学習指導要領の最大のターゲットは「高等学校」とも言われています。高等学校の従来型の授業を新しい授業に「変革する」。このように言うと、何か痛みが伴うイメージを持ってしまいますが、私は痛みではなくて、ちょっとした勇気なのではないかと思っています。柴原先生は、高等学校の授業改善に関してどのようにお考えですか。

小、中学校の授業は学習指導要領に即してどんどん変わっているのに、高等学校は変われなかった、変わらなかったと感じています。その最たる理由は、「大学入試」です。授業を変えることで進学率が下がらないだろうか、という不安がありました。また、高等学校の先生方は「専門性が高い」という意識がとても強く、プライドを持って仕事をされています。そのこと自体はとても素晴らしいことなのですが、専門性が高いことが、そのまま「授業力が高い」ということではありませんよね。

ですから、高等学校の先生方に私がお伝えしているのは「中学校の授業を見に行きましょう」ということです。

中学校や小学校の授業から学ぶことは、たくさんあると思います。授業の方法や、授業のそもそもの考え方を学んでいくことが大事ですね。

これから高等学校に入学してくる生徒たちが、中学校でどのような授業を受けてきたのか。それがわからない、知らないというのでは生徒たちに申し訳ないですし、生徒たちが可哀そうだと思います。

今、私が関わっている5校の茨城県立高等学校(中等教育学校を含む)では、タブレット端末を活用した取り組みが進んでいます。興味深いのは、タブレット端末の活用研究ではなく、授業改善の取り組みとして進められていることです。

【写真1】は、茨城県立佐和高等学校の数学の授業です。グループに1台のタブレット端末を使い、グループで課題に取り組んでいました。「やっと終わった」ではなくて「もう終わった」という生徒たちの様子が印象的でした。

【写真2】は、大洗高等学校の国語の例です。ここもグループで見解をまとめて、全体に伝えるという授業です。写真に「活動の中に学習を埋め込む」と添えましたが、なかなか学習に向き合えない生徒たちに対して、写真のような教材を作成しました。「法師が進んだ旅程を書き込む」という課題なのですが、この課題を解くためには国語の教科書をきちんと読まざるを得ないわけです。学習活動にICTをうまく組み合わせることで、生徒が学習に入っていきやすくなる。このような授業デザインが随分進んできました。

【写真3】は、つくば並木中等教育学校の理科の授業です。実験の様子を映像で撮影しています。実験後に行うグループ間交流に向けて、実験結果を示す根拠を記録しています。

【写真4】の日立第一高等学校では、学習活動ソフトウェアを使って、グループ4人がスライドを共有しながら課題に取り組みました。ほかのメンバーの様子をさりげなくうかがえるので、気になるところがあれば直接聞いて教えてもらうことができます。今までの高等学校の授業で考えられなかったような取り組みが出てきています。

タブレットは、授業の質的変換にどう寄与するか

ICT、特にタブレット端末が、授業の質的変換にどのように寄与するとお考えですか。

まずタブレット端末を生徒たちが使うことで、自ら「考える時間」が劇的に増えました。また、タブレット端末上で作業せざるを得なくなり、先生の話を聞くという「半分受け身」のような状態から、学習の「主体」として授業に参加するようになりました。さらに、グループ、仲間と取り組むという授業デザインの工夫も加わって、考えずにはいられない状況が生まれています。

もう1つ、大きな質的変化を感じるのは、【写真4】のように、ほかの生徒の考えを手元のタブレット端末で見ることができるという点です。自分で考えるための参考にできるし、つまずいている人の画面を操作して、直してあげることもできる。できた人ができていない人に教えるといったことが自然に行われています。

タブレット端末の活用によって、生徒中心、つまり学習者中心の授業になっていくということでしょうか。

授業とは、本来そうあるべきです。むしろ、今までは、教師が書いた指導案、言い方が適切ではないかもしれませんが、教師が書いた脚本を基に授業を進めていました。けれども、生徒たちにタブレット端末を使わせると、彼らが主体的に学習活動に取り組むわけですから、当然、教師が書いた脚本通りには、授業が進まなくなります。

「教師が書いた脚本」という言葉、とても印象的です。

教師の中には、指導案からずれることを是としない方が少なからずいます。もちろん指導案は大切ですが、私は指導案からずれるのは大いに結構だし、当然のことだと思っています。もし、教師が予定した通りの流れで毎時間やり遂げることが「授業」であるというのならば、そのような授業を受け続ける生徒たちは、とても残念だと思います。

教師の思惑とは違う方向に授業が向かうこと、それを面白いと思えるか、怖いと感じるかですよね。これからの教師、特に高等学校での教師は、ICT機器の仕組みを理解して使えるだけでなく、授業の中でどのような教育方法とICTを組み合わせると、より効果的なのかといったことまでを考えることが求められていますね。

日本では、ICT機器をまだ「教材教具」に位置付けています。そうしたときに、教師がICTを活用する意図を明確に持っていなければ、ICTを使っただけの授業になってしまいます。また自分の意図とのずれを感じたとき、次はどのように展開しようかと授業を見通す力も必要です。そうした力が身についていないと、生徒にICTを渡して使わせることが怖いと感じるのだと思います。

図1インストラクターのように、生徒に手取り足取り教えることが教師の役割ではない。むしろ、【図1】のように学びの場をデザインしたり、誰かと誰かをつないだりする。時には生徒を勇気付けたりして発言を促し、授業のリズムを作っていく、「ファシリテーター」のような役割が教師に求められているということでしょうか。

そうですね。私の世代の教師は、自分が知っていることを基に授業をデザインして、知っていることを生徒に教えることで成り立っていました。けれども、今の世の中は、生徒の方が教員以上にものを知っている場合がある。教師の知識をコピーさせることを授業の目的にしたら、もうそこに教師の存在は必要ありません。生徒の学びをデザインすることこそが、私たち教師の重要な仕事といえます。もちろん教科の力は大切です。それを大切にしつつ、私たち教師は変わらないといけない。

「学びに向かう力」を育むプログラミング教育

柴原先生は、茨城県の教育の未来をどのように描いていらっしゃいますか。今は、「プログラミング教育」に注力されているように思います。

図1プログラミング教育の目的は、あくまで「思考力の育成」にあります。これからの教育を考えれば、「知識は本の中にあり、学習とはそれを頭の中に正確にコピーすること」という考えはもう成り立ちません。プログラミング教育の特徴は、不完全なところから始まって、自分で工夫したり、仲間と協力したりして取り組むことで、少しずつ完成させていく活動にあります。この経験によって、彼らは、知識はどこかに存在するのではなくて、自分たちが力を合わせて生み出せるものであることや、徐々によりよいものにしていけるという実感を得られます【図2】。こうした感覚、学習観がこれからの子どもたちに欠かせないものになると考えています。

そして最も大事なのは、そもそも「学び」とは「自ら目当てや問いや見通しを持って、自分なりのやり方で対象に関わって、返ってくる反応を見ながら、修正したりすること」にあるということです。プログラミング教育は、失敗を繰り返しながら未完成のものを完成へと近づけていく学習活動ですから、失敗の中に価値を見いだすこと、つまり失敗から学ぶことが求められます。このプロセスが、新学習指導要領が求める「学びに向かう力」を高めることにつながります。

対象と関わり、返ってくる反応を見ながら対応する。即時性や試行錯誤の容易さは、まさにICTの良さですよね。

ICTは直ったことがすぐにわかります。その感動が学習に対する動機付けに大きな効果があります。まさにICTでなければできないことだと思います。

楽しかったや、うまくいかなかったなど以上に、「自分はものすごく考えた」という実感が「学びに向かう力」になります。指導する教師の意識改革が、ますます重要になると感じます。

すべての校種・学校で「目指す子どもの像」を描いてほしい

図3学校全体でICT活用や情報教育、そして授業改善を進めていくとき、小、中学校は【図3】の上「目指す子ども(生徒)像」からスタートするのですが、高等学校はどうしても一番下の「各学年・各教科として何をするべきか」ということの検討からスタートしてしまいがちです。まずは「学校としてどのような生徒を育むのか」という議論から始めたいと思っています。柴原先生はどのようにお考えですか。

ほとんどの小、中学校には「学校のグランドデザイン」があるのに、高等学校にはほとんどありません。あったとしても、小、中学校と比べて具体性がないことが多い。「学校でどのような生徒の育成を目指すのか」「目指す生徒に向けて、学校で、各教科で何をやっていくのか」という順で考えることが重要です。そして、その目標を管理職だけでなく、全教職員が共通理解をすることが大切です。けれども高等学校は、教科の力が非常に強く、教科の枠を超えて意見を言うことが難しい。共通理解を図るためには、教科の壁をまず取り払わなければなりません。

目指す生徒像を考えれば、情報リテラシー・情報モラル、ICT活用、情報活用能力などの力を、どの学年のどの教科でどのようにつけていくかが必ず話題として出てくると思います。各高等学校、あるいは小学校、中学校でも取り組んでほしいですね。

【図3】は学校種を問わず共通することだと思います。そして、どのような子どもを育みたいのか。それは各校種、各学校でそれぞれ違うはずです。

学校長が果たすべき役割は大きいですね。

教職員だけでなく、子どものカリキュラム・マネジメントを

新学習指導要領の示す三つの柱をバランスよく育むためには、主体的・対話的で深い学びの実現が必要であり、そのためにアクティブ・ラーニングの視点による授業改善やカリキュラム・マネジメントが重要です。

私は、カリキュラム・マネジメントを考えるとき、次の階層を意識することが大切だと考えています。

この階層性を見れば、管理職など一部の人だけでなく、すべての教職員がカリキュラム・マネジメントを考えなければならないことがわかると思います。

そして、子ども一人一人にもカリキュラム・マネジメント、つまり「自己の学びのカリキュラム・マネジメント」があると考えています。これからの子どもたちには求められるのは、自分自身で将来を思い描き、身につけたい資質・能力などの目標を設定し、その実現を目指して生活したり、学んだりしていくことです。子ども一人一人が自己の学びを見直す上で効果的なのが「振り返り」です。

図4今、【図4】のように学習活動の後に、振り返りをする学校が増えてきています。毎時間、教師が意図的に振り返りを行うことで、子どもたちに新たな気づきや学びへの意欲や期待が生まれ、それが次の学びに向かう力になります。学習活動だけで授業が終わってしまわないようにしてほしいです。

振り返りがあるから、次の学びに向かうことができる。振り返りは「学びに向かう力」を育む上で大切ですね。

すべての学校種において、カリキュラム・マネジメントは大切です。校長、教頭、教員、さらには子どもも加わってカリキュラム・マネジメントに取り組んでほしいと思います。そして、その基になるのは、やはり、各学校のグランドデザインです。結局、私たち教師に問われているのは「どのような子どもを育成したいのか」ということだと思います。

本日は大変有意義な時間でした。お忙しいなか、貴重なお話をありがとうございました。これからもICT活用の可能性・必要性を全国に発信していきたいと強く感じました。

(2018年10月取材/2019年2月掲載)
※ 本対談における柴原 宏一・茨城県教育長のご発言には、
教育長としての立場ではなく、私見が含まれています。