研究会・セミナー

次世代の学びのために

将来の情報技術はどうなっていくか

この40年間近くで、コンピュータやネットワークはすさまじい勢いで普及しました。スマートフォンを子どもたちが持ち、毎日のように使いこなしている時代を何人の研究者が予見したでしょうか。

社会的な変容は別として、情報技術だけでみれば、基礎的な研究が着手されたものの、計算や伝送のスピード不足が理由で見通しが立たなかった技術が、近年の処理速度の向上によって確実に実用化されたように思われます。

その観点からソフトウェア技術について考えてみれば、これから40年先ではどのような変化があるでしょうか。現在はまだ実験段階にある超高精度の画像処理、大量のデータから行うイメージの自動検索、生体の動きや反応に対応したロボット制御、複数カメラによる瞬時の3次元状態認識、その機能を利用した仮想空間の実現、ロボットへの作業指示、行動の自動認識と自動プログラミングなどが実用化されているでしょう。人間の神経や生態的反応とタイアップして、コンピュータはどこにでもある存在になっているでしょう。特に、すでに災害地の状況把握などに利用されている3次元空間認識の技術は画期的です。将来は、高精細の3Dプリンタで何でも作れるようになっているでしょうし、人間のあらゆる活動を3次元の動作の推移としてロボットに認識させ、シミュレーションさせることができるようになっているでしょう。

求められる教育内容、方法の改革

さて、時代が変化していくことを見越して、これからの人間にはどのような能力が必要になっていくでしょうか。子どもたちが大人になり、社会の中心となって活躍するころには、ロボットが人間の半分以上の仕事を担っていることが十分に予想されます。

ある学者は「将来は、定形的な仕事のほとんどをロボットが行い、人間の仕事は二極化する。ロボットにはできない状況に対応した、創造性の高い行動的な仕事か、ロボットがやり残した(ゴミを拾うような)細かで賃金の低い仕事である」と予測しています。

つまり、マニュアルに沿った作業はロボットの仕事になるわけです。私たちは、将来を担う子どもたちに対して、ロボットに命令して仕事をやりこなせるように、創造性や行動力を育成する必要があります。

そのためには広い意味で、情報活用能力の育成が必要です。新しい状況に対して常に情報を収集し、判断、発信する力を育むことが、時代の変化にいつまでも対応できる人間の育成につながります。

もし、先生方がこれまでのように「賢くて、人の言うことを素直に聞く子どもを育てよう」と思われているならば、子どもたちは『言われたとおりの作業をこなす』素直な人に育ち、ロボットの命令に従って働く層の人になってしまうかもしれません。

「ロボットの下で働く人」ではなく「新しい仕事を開拓し創造して、ロボットに命令していける人材」を育成できるように、私たち教育者は、学校教育のカリキュラムを、考える力やコミュニケーション能力、情報活用能力の育成にシフトさせていく必要があります。

健全な情報化社会の発展のために

次世代の学び?情報は制御できないほど大量にあふれています。子どもたちが巻き込まれる危険を事前に予測し、教育的あるいは社会的な対応を進めておくことが必要です。

経済優先でものが売れればよい時代はもう終わりました。これから重視すべきは、人が安全に生きがいをもって暮らせる社会を実現することです。お酒やたばこは青少年に有害とわかり、法律で制限がかけられています。大人を対象とした商品も、子どもに悪影響を与えないよう、さまざまな規制がなされています。

しかし、ICTに関しては、技術の普及に先んじて、教育的に配慮した対応がなされておらず、何か問題が起こってからの対応になり、学校はその対処としての情報モラル指導に追われています。

健全な情報化社会の発展のために、教育的配慮のある仕組みの実現が望まれます。

次世代の学びとは

次世代の学び?最後に、これからの学びに重要な視点をまとめてみましょう。不確定の時代にあって、社会で生き抜く強さと優しさを備えた人材に求められるもの、それは、「一人ひとりを大切にする精神」や「自己肯定感や自己理解」「困難に立ち向かう強さ」「情報を活用できる的確な判断力」、そして「自らの考えをうまく説明できる技能」です。

したがって、これから学校では、集団の中での人の役割や社会とのかかわりを実践的に体験する、自己の生き方を考える、問題解決を協調的に学ぶ場としての機能が大きく求められます。

そして、これからの教師には、子どもたちに「何を体験させ、何を考えさせるのか」という視点に立ち、さらに子どもたちが自ら考えるように示唆する役割、メンターやパートナーとしての役割が重要になります。これまで私たち教育者は、知識・技術を「どのように教え込むか」をばかり考えてしまい、子どもたち自身が考え、自分で判断する機会を奪っていないでしょうか。それは非常にもったいないことです。

教える授業から、子どもたちが行動し、一人ひとりが考える授業へ転換することが求められています。

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(2014年12月掲載)