情報教育

INTERVIEW 1人1台時代に求められるメディア・リテラシー 安全・安心な端末活用を考える

中橋 雄 日本大学 教授

中橋 雄日本大学 教授

GIGAスクール元年 協働学習における1人1台端末活用が進む

GIGAスクール構想で1人1台端末が整備された当初、学校現場は非常に混乱しました。そうしたなかでも、「子どもたちのために」と多くの先生方が前向きに捉えて、試行錯誤しながら1人1台端末活用が推し進められました。

1人1台端末は、ともするとドリル学習に終始しがちなのですが、今回の導入では、「個別最適な学び」とともに「協働学習」というキーワードが示されていたためか、協働学習を意識した実践が多くなされました。これはとても望ましいことだと思っています。

「協働学習」は、教師が教え込むのではなくて、多様な考えがある中から自分にはなかった考えを児童生徒自らが学び取るものです。個々の思考を可視化し共有するツールとしてICTが有効に活用される実践が多数見られました。具体的には、国語の教科書の題材について、個々の学習者がどう考えているかをタブレット端末上で書かせて提出させ、その内容を画面上で共有して、お互いの考え方の違いに気づくという展開です。これまでの授業にICTを取り入れて少し変えただけなのですが、非常に意味のある学習活動になっていました。ICTをうまく学習に取り入れることで、子ども同士、さらには教室内と教室外・学校外をICTがつないでコミュニケーションを活性化させていく。そうした環境のなかで子どもたちが学ぶ場面がさらに増えていくことを期待しています。

オンライン学習や分散登校への対応をきっかけに活用が広がる

一方で、GIGAスクール構想がこのように進んでいるのは、新型コロナウィルス感染症の感染拡大に伴う休校措置が実施された影響が大きいと言えます。地域にもよりますが、夏休み明けはICTを使ったオンライン学習や分散登校を実施したという学校がありました。児童生徒が家庭で学校の授業を受けるという状況は、これまであり得なかったことであり、先生方は非常に苦労をされたことと思います。けれども、これまでなかなか経験できなかったクラウドやICTを活用した授業を、多くの先生が経験するという機会にもなりました。そのときの経験は、今後、対面を基本とする教育においても必ず生かされると思います。

自分を守るための安全教育としての情報モラル教育

活用が進展するなかで、整備された1人1台端末に起因した「いじめ」が発生し、報道されました。もちろん、いじめには人間関係の問題が根底にあるわけですが、いじめの道具として端末が使われたという点で、情報モラル教育の充実は非常に重要な課題です。

情報モラル教育は、人に迷惑をかけないようにする教育の側面もありますが、自分を守る安全教育の側面もあります表1。ですので、学校という守られた空間であることを生かして、適切な指導をしてほしいと思います。それはトラブルがあれば、何かを禁止するという方法ではありません。1つのトラブルに対して、どのように対処すべきなのかを児童生徒に考えさせるような、建設的な教育を充実させてほしいと思います。

表1情報モラルとメディア・リテラシー

安全・安心といえば情報モラルという概念がある。メディア・リテラシーを育む教育は、以下のような内容を扱う情報モラル教育とは異なるものと捉え、教育を充実させる必要がある。

1

情報の発信と受容する際の判断に関する問題

デマ,うわさ,詐欺,誤報,ワンクリック詐欺

2

コミュニケーショントラブルの問題

メール・掲示板・チャットでの誹謗中傷・ネットいじめ

3

知的財産権の侵害に関する問題

著作権侵害

4

情報資産を脅かす脅威とセキュリティ対策に関する問題

ウィルス・ワーム,不正アクセス,改ざん,個人情報流出,サーバー攻撃,カード番号・パスワードの盗聴

5

電子商取引でのトラブルに関する問題

詐欺,なりすまし

6

トラフィックに関する問題

チェーンメール

7

有害情報の公開と受容に関する問題

爆発物の製造方法,ポルノ,自殺マニュアル,死体,ドラッグ販売,プライバシー侵害

8

ネット中毒に関する問題

引きこもり,依存症

9

出会い系サイトに関わる犯罪の問題

売春,誘拐,拉致・監禁

1人1台端末時代には、「メディア・リテラシー」がより重要に

ただ、情報モラル教育だけを考えていれば、それでよいのだろうかと、私には疑問もあります。1人1台端末時代においては、それとは異なる「メディア・リテラシー」という能力の育成がより重要になると考えています。

例えば、児童生徒が何かを主体的に学ぼうと思ったとき、さまざまな資料、つまりメディアを通して学びます。メディアは事実を伝えているものであっても、ある一面が切り取られたものだということを理解しておくことが重要です。つまり主体的に学ぶには、児童生徒が、「メディアは、送り手の意図によって構成されている」といった特性を理解して、情報を読み解いたり、発信したりできるメディア・リテラシーが欠かせないのです。

また、情報モラル教育は、安全・安心を守るためという観点から、何をしてはいけないかがはっきりしているので学習のゴールも明確です。一方でメディア・リテラシーは、必ずしも正解が1つに決まるものではありません。読み手の立場によって受け止め方がさまざまであることを学ぶのです。こうしたことから、メディア・リテラシーと情報モラル教育とはまったく違う次元で考えて指導する必要があります。

メディアをどのように読み解き、どのように発信するのか。
そして、そのあり方を考えていくことが重要。

メディア・リテラシーとは

私は、「メディア・リテラシー」の定義を下記のようにまとめています。

「メディア・リテラシー」の定義

メディアの意味と特性を理解した上で、
受け手として情報を読み解き
送り手として情報を表現・発信するとともに、
メディアのあり方を考え、行動していくことが
できる能力

「意味と特性を理解した上で」という部分ですが、例えばメディアは送り手の意図によって構成されています。事実を伝えているような報道番組であっても、どのニュースを取材するか、そして取材した映像の中からどの部分を切り取って見せるのか、さらには受け手が何を見たいか、何が受け手に役に立つ情報なのかを考えて、送り手が取捨選択をしています。公正・中立な報道が大切だとよく言われますが、送り手の意図が入る時点で、完全に公正・中立ということは、あり得ないのです。メディアの受け手側は、無理であることを踏まえた上で、うまく活用していくことが重要なのです。

メディアに含まれる意図はさまざまです。商業的な意図や政治的な意図もありますし、文化的な側面でいえば、ある文化圏では問題にならない表現も、別の文化圏では差別的な表現になったりします。そういう意味で、先ほど申し上げたように、正解が1つに定まらないという特徴があります。

そして、社会に参画してメディアを活用するにあたっては、自分たちで活用方法を作り出すこともあります。それが「あり方を考え、行動していく」ということです。

具体的には、Twitterを「自由に発信できて面白い」と思う人もいれば、そこで不快なことが書き込まれると「許せないから削除してほしい」と思う人たちもいます。実は、その場でどのような情報がふさわしいのかは、そこに参画する人たちの間でゆるやかに合意が形成されているのです。ですので「この場では、これが正解」といえるものはなく、参画する人がそのメディアのあり方を考えて、行動することが必要なのです。

今、学校では、ICTを活用した多様な実践場面があります。それは一斉学習もあれば協働学習も個別学習もあります。それぞれ人と人とのコミュニケーションです。さらに個別学習であっても、コンテンツは人が作ったものですから、人と人とのコミュニケーションと言えます。人と人との間にはメディアが入っているのです。メディアをどのように読み解き、どのように発信するのか。そしてそのあり方を考えていくことが今後ますます重要になってきます。

1人1台端末で安全・安心に学ぶために

では児童生徒が1人1台端末を使って学ぶ際に、どのような危険があるのでしょうか。ここでは、どのようなメディア・リテラシーを育む教育・学習が必要になるのかを考えたいと思います。

検索サイト

児童生徒が、調べ学習などでキーワード検索をした際に、一番上に出てくるものだけをコピーして貼りつけて、それで終わりになっていないでしょうか。調べられたから合格ということではありません。どのように調べたか、どのような判断をしてその情報を選び取ってきたのか、そしてその情報は誰がどのような目的で発信したものなのか。それらを考えさせる教育を展開する必要があります。

調べ学習においては、検索エンジンの特性を知る・教えることも重要です。一番上に表示されている情報ほど価値がある、ということではありませんから、吟味することを指導します。それは、「いつの間にかランキングに依存してしまっている自分自身」に疑いを持つことにつながります。

SNS

SNSでは、コンピュータがお勧めする情報を目にする機会がたくさんあります。これは自分にとって価値のある、関連のある情報をお勧めしてくれるので、便利な機能といえます。一方で、私たちが知らず知らずのうちにお勧めされている情報に囲まれているということでもあります。お勧めされていない情報は自ら積極的に探しに行かなければ見えてこないのです。これは仕組みとして、これまでの検索履歴や操作履歴等に応じて表示されてくることを理解させてほしいと思います。

ニュースサイト

ニュースサイトなどのメディアは、分かりやすく伝えるために、情報が取捨選択されています。逆に取捨選択されてないメディアは、分かりにくくて使えません。使えるものほど、分かりやすく単純化されているのです。

しかしそれ故に、多様な考えや情報が見えにくくなります。このメディアの特性を理解していなければ、自分が目にしている情報以外に、まったく違う見方をしている情報があることに気づけないのです。そうして、そのまま自分の価値観や認識を作り上げてしまうと、異なる価値観を持った人と出会ったときに、対立が生まれてしまうのです。メディアの特徴や人の多様性をくみ取ることの大切さを教えることが必要です。

受け手は勝手な解釈をするという
前提に立ち、表現・発信する力を
育むことが必要です。

情報を読み解き、責任を持って、表現・発信する力を育む

例えば、国際的な学力調査で日本の順位が下がったというニュースがありました。ニュースの解説では、「日本の子どもの読解力の得点が低く、前回より順位が下がった」「スマートフォンが普及し、短文のやりとりが増えたことや本を読む時間が減ったためではないか」とありました。

スマートフォンが普及したことも、短文のやりとりが増えたのも事実でしょう。本を読む時間が減ったのも事実かもしれません。こうしたニュースを目にしたとき、メディア・リテラシーが低ければ「学力テストの点数が悪かったのは、スマートフォンのせいだ」とか、「本を読まないからだ」と短絡的な思考になってしまいます。表面的な事実の羅列から、受け手が勝手に読み解いてしまうのです。

実は1人1台端末は、児童生徒が1人で勝手に情報を読み解いてしまいかねない状況を作っています。児童生徒に、情報の読み解きや発信する際の責任を考えさせること。そして自分が勝手な解釈をしているのではないかと疑える力や、受け手は勝手な解釈をするという前提に立ち、表現・発信する力を育むことが必要です。

メディアに関わる専門の教科を作り、体系的な学習を

1人1台端末を活用して児童生徒が安全・安心に学ぶためには、教育課程の中にメディア・リテラシーを育む時間をしっかりと位置づけていく必要があると考えています。

これまでは、専門の教科を作ることによって、他教科で情報に関する内容を扱わなくなることに対する危惧がありましたが、これからの時代はそのような危惧は無用です。各教科・領域において、メディアを活用して自分の思いを伝えたり、情報収集して読み解いたりする活動は当たり前のことになっています。

今こそ、小学校から高等学校まで、体系的にメディア・リテラシーを育むことができる専門教科を設け、すべての児童生徒に確実に力をつけさせることが必要ではないでしょうか。

(2022年2月掲載)