ICT活用教育のヒント

「主体的・対話的で深い学び」の実現にむけた授業づくりのポイントを考える

「主体的・対話的で深い学び」を具体化する4つの視点

図1「主体的・対話的で深い学び」の実現をめざすとき、【図1】に示す4つの視点が欠かせません。 1つ目の視点は、「適切な難易度 リアルな課題」です。私たち教師は日ごろ、「今日はどこの続きからだろうか」と授業を始めてしまいがちです。しかし、そのような課題提示では、子どもたちに学びの必然性は生まれません。「1人では解決が難しいけれども、仲間と力を合わせれば解決できるかもしれない」と思えるような適切な難易度であること。さらに、学ぶことで子どもが社会とのつながりを感じられる、リアルな課題であることが必要です。

2つ目の視点は、「枠組みづくり せざるをえない場の設定」です。今、多くの学校の研究主題で「高め合う」「学び合う」「関わり合う」といった言葉が掲げられています。しかし、実際の授業の中で、そのような場をどれだけつくり出せているでしょうか。「人と関わらざるをえない」「考えを人に説明せざるをえない」「教科書をもう一度読まざるをえない」、そのような場を教師が意図的につくり出す、もしくは授業の中に「枠組み」として確立できているかどうかということです。

3つ目の視点は、「確かな見取り評価」です。評価というと、成績などの総括的な評価が重視されがちです。しかし「主体的・対話的で深い学び」では、子どもに学習を任せる時間が長くなります。協働、個別とめまぐるしく学習形態が変わり、同時多発的にさまざまな学びが起こるなかで、教師は1人ひとりを評価しなければなりません。そのためには、「形成的評価」、学校では「見取り評価」と呼んでいますが、1人ひとりを確かに見取る力が必要です。

そして、これら3つの視点を支えるのが、学級の「人間関係づくり」や教師による「価値のインストラクション」です。 この4つの視点から、「主体的・対話的で深い学び」の実現にむけた授業実践を積まれている、鳥取県岩美町立岩美中学校 岩﨑有朋先生の授業を紐解きたいと思います。

ICT活用で知識習得型の授業から、学習者主体の授業へ

中学2年理科2分野「脊椎動物の分類」の実践をもとにお話しします。この単元は、与えられた枠に対して、パズルのピースのように動物の特徴を当てはめて学ぶという知識習得型の授業展開が見られがちです。けれども、新しい中学校学習指導要領解説 理科編では、第1学年における科学的に探究するために必要な資質・能力の育成について「問題を見いだし見通しをもって観察、実験などを行い、【規則性、関係性、共通点や相違点、分類するための観点や基準】を見いだして表現すること。」と記述されています。

そこで今回は、「動物の分類表を作ることを通して生物の多様性を理解する」を学習課題に設定し、彼らに枠を与えるのではなく、生物個々の細かな特徴から見えてくる共通点、相違点をもとに、「分類する枠を自分たちで作り出す授業」を構想しました。動物の特徴を集め、分類する作業は、試行錯誤が容易に行えるICTのメリットを生かして、生徒1人1台タブレット端末の環境で行いました。作成したカードを自由に動かして分類できる『SKYMENU Class』の[グルーピング]機能と、協働編集が行える[グループワーク]機能を組み合わせて使い、主体的・対話的に学べる環境を整えました。

教科書を読み解き、問いをつくる

本時の課題「動物の分類表を作ることを通して生物の多様性を理解する」は、非常に難易度の高い課題です。岩﨑先生はほかにも、「地層の重なりを推測せよ」「生命を維持する仕組みを説明せよ」「必ず陽極になる金属の存在を証明せよ」といった学習課題を作られています。1人では無理だけど、みんなの力を合わせればなんとかなるかもしれないと思えるような、ぎりぎりのラインの課題をどのように決めているのですか。

私は、教科書を非常に大事にしていて、教科書から問いをつくっています。教科書は、大学の研究者をはじめ、優れた先生方の知恵を結集して作られています。その記述や挿絵、グラフには何らかの意図があります。次の単元に進むときに、その意図を想像しながら教科書を読み込んでいます。

例えば、「半月」というと、皆さんはどのような絵が思い浮かぶでしょうか。ほとんどの方は右半分や左半分の月を思い描くと思います。けれども、理科の教科書では「上半分」の月の写真が大きく掲載されているのです。これを生徒に見せると、最初は口々に「写真が間違っている」などと言うのですが、やがて「間違っていなさそうだ」と気づくわけです。そこですかさず、私から「月がこのように見える理由を説明せよ」と学習課題を投げて彼らに考えさせています。

授業前に、生徒の動きを具体的にイメージする

授業前、授業中は何を行い、何を見ていますか。

図2授業前は、学習指導要領を読み、学習のゴールを確認します。そして教科書と学習指導要領のつながりを確認し、どのようにすれば、彼らをめざす姿、ゴールまでたどり着けさせられるのかと考えます。表現がよくないかもしれませんが、「どうやって彼らを困らせてやろうか」ということです。授業を考える上で一番面白い部分です。そして彼らが「じゃあやってやろうじゃないか」と思えるような問いをつくっていく。できるだけ1つの問いで生徒たちが1時間、2時間と意見をぶつけ合えるような問いをめざしています。図解すると【図2】のように「目標」「評価」「手段」という3つの段階になります。

授業中は、困っている生徒のフォローと、すでにできている生徒に「本当にそうなの?」と揺さぶりをかけています。

困っている生徒へのフォローは、どのように行っていますか。

「何に困っているの?あそこの班に聞いてきなよ」「それはAさんが詳しいよ」「困っている班があるのだけど、誰か助けてくれない?」など、生徒同士を結びつけるような声かけをしています。生徒が生徒に説明したほうがよく分かりますし、説明する側にも学びがあります。 授業中、最も大切にしているのは、彼らが動き出したら「任せる」ということです。彼らが動き出したところに教師が介入してしまえば、途端に教師主導の授業になってしまいます。ですから授業前には、「Aさんはこう関わるだろう」「Bさんはこう動くだろう」と具体的に授業をイメージします。授業案をつくり、授業のイメージを持ち、評価を考える。そして「先生できました」と生徒が言うイメージができたら、授業が始まる前ですが「授業が終わったな」と感じます。

「何のために学ぶのか」を伝える

「授業」とともに「単元」という言葉が多く出てきます。「この単元を通じて、どのような課題を解決できるだろうか」という視点で、授業を考えているのでしょうか。

図3「脊椎動物の分類」の授業では、【図3】のような単元を通したねらいがありました。彼らは5、6年すれば選挙権を得る年齢です。急激に社会的な責任を背負うわけです。理科の学びのなかで、自分たちで新しい枠組みを作り、それを使うことでより豊かな生活を実現できることを実感させたい。社会的な経験の基礎を積ませたいという願いがありました。

このような願いは、授業の導入で生徒たちと共有するのでしょうか。

なぜこの授業をするのか、なぜこのねらいなのか。導入時に限らず、生徒たちには言葉で丁寧に伝えています。ですから単元の中で、教師主導で知識理解が中心となる授業では、「この学習活動をするために必要だから今は教えます」と伝えて、遠慮なく知識を教えます。

教師が「なぜそれをするのか」といった学習や行為への意味づけ、価値のインストラクションを徹底しているのですね。学びとは、市場経済ではないので、等価交換ではありません。ですから、学習が始まる前に「学習した後、何が得られるのか」を生徒は知るよしもありません。それでも、岩﨑先生の授業を見ると、どの生徒も今から始まる授業、学習にわくわくしている。それは「教師の願い」を伝えることで、「学ぶことで、きっといいことがある」「自分が変われそうだ」と彼らが感じているからだと思います。

高め合う学習集団をどうつくるか

授業の中で、タブレット端末を使って実験の結果や考察を伝え合い、性別は関係なく他者と関わって学ぶシーンが当たり前のように見られます。こういった「人間関係づくり」を、理科という教科指導の中でどのように行っているのでしょうか。「仲良し集団」ではなく、「課題解決志向集団」、つまり高め合う学習集団をつくるのは非常に難しいことです。

最初の授業で「私に何か質問しても、私は答えません」と宣言をします。もし生徒から質問があれば、すべてオウム返しです。「ノートを書くのですか?」「書くのかなぁ?」といった風です。これを学年共通認識として徹底することで、生徒たちは教師に何も聞かなくなり、やがて友だちに聞いて解決しようとするようになります。

また、1学期の最初、生徒たちは、極力人と意見を合わせようとする傾向があります。ですから、1学期はあえて意見がぶつかる場を設定し、誰とぶつかっても乗り越えられるということを実感させています。もちろん、「ぶつかったことを次の時間までひきずらない」「嫌いな人はいて当たり前。けれども、それを理由に攻撃していいわけではない。好きな人もいれば嫌いな人もいる。でも、それはあなただけのことであって、それを授業の中で表すことは許されない」ということを徹底して伝えています。

このような指導をしているので、1学期はタブレット端末をあまり使いません。2学期以降に難しい問題を用意し、そこでようやくタブレット端末などのICT機器を使わせています。

授業中、生徒たちが自由にほかの班に聞きに行く、「意味のある立ち歩き」を推奨していますよね。

はい。これも最初からできるわけではありません。1学期の授業中に、全員立たせて「ほかの友だちがどんなことをノートに書いているのかを見てきてごらん」と見に行かせ、友だちのノートを見ることで、「自分と違う意見を知れる」ことを実感させています。その上で「自分と違う意見を知りたいときは立って歩いて探していいよ」と伝えています。言葉だけではなく、効果を実感させることがポイントです。

3年生にもなれば、授業中に生徒が「助けて!」と周りに呼び掛け、周りの生徒が「俺行くよ」と自然に答えるようになります。

「自分が困ったら、友だちに聞く。逆に友だちが困っていたら自分が助ける」これは「自己肯定感」の高まりにつながります。折しも2015年の国立青少年教育振興機構「高校生の生活と意識に関する調査報告書」において、日本の高校生の自己肯定感が非常に低いことが明らかになりました。この結果は、私たち日本の教師が積み上げてきた教育、授業の「結果」であると受け止めなければなりません。

岩﨑先生の言葉ですが、「私の学びがあなたの役に立つ。あなたの学びが私の役に立つ」という感覚を子どもたちに持たせられる授業が、今、求められています。

教師がしびれを切らして手を出したら、その途端に子どもは学ぶことをやめてしまいます

究極のコツは、『任せて待つ』こと

「主体的・対話的で深い学び」を実現するためのコツは何かと聞かれれば、私は「『任せて待つ』しかない」と答えます。教師がしびれを切らして手を出したら、その途端に子どもは学ぶことをやめてしまいます。私たち教師が子どもを信じ、『任せて待つ』しかないと思います。

ここまでお話しいただいたことは、決して「方法論」ではありません。これを方法論で終わらせてしまうと、その一歩先の「主体的・対話的で深い学び」の実現には決してたどり着きません。私たち教師1人ひとりの授業観、学習観にまで高められるかどうかが問われています。

(2018年08月掲載)
※ タブレット端末活用セミナー2018(大阪会場および東京会場)対談より