学習指導要領/教育の情報化

成熟社会に相応しい教育と学習指導要領改訂について(合田哲雄 文部科学省初等中等教育局課程課長)

「新ゆとり」を目指すものでも、「ゆとりに戻る」ものでもない

2020年から小学校で、2021年から中学校で、2022年から高等学校で新しい学習指導要領が全面実施されるという前提で現在議論が進んでいます。今回の改訂は、よく言われているように「新ゆとり」を目指すものでも、「ゆとりに戻る」というものでもありません。前回の改訂で、ゆとりか詰め込みかという不毛な二元論を乗り越えており、今回の改訂では、子どもたちに必要な力をさらに伸ばしていこうという議論をしております。これだけ、人工知能(AI)が進化しているなかで、子どもたちにAIではできない、人間でしか生み出せない価値を創造する力をいかに育むか、それが大きな軸になっています。

私は昭和52年の「ゆとりと充実」と言われた学習指導要領の改訂で育まれた世代の第一期生です。このことを考えると、学習指導要領というのは、20年後、30年後の世界、社会を構想しながら作っていく必要があります。それは取りも直さず、先生方の日々の授業、ご指導におきまして、目の前の子どもたちに働きかけることで、20年後30年後の社会を創っているということに他ならないと思っています。

次の時代を創っていく力

しかし、20年、30年後の社会を私たちが予想できるのか―、基本的には予想できないと考えております。

かつて、未来が工業社会となるから、高等専門学校を作ろうとか工業高校を増設しようといったように、マンパワーポリシーとしては、未来の社会像から逆算して、現在の教育を組み立てられなければ教育は無力かというと、私はむしろ逆だと思っています。

「未来を予測する最善の方法は、自らそれを創り出すことである」と、パーソナルコンピュータの父であるアラン・ケイは言っていましたが、今の子どもたちには、今必要な知識を習得することにとどまらず、次の時代を創っていく力が求められていると思っています。ただそれは何か非常に高い知識、ずば抜けた能力が求められるのではないと思うのです。

このところ、小中学校におけるプログラミング教育の報道がなされております。プログラミング教育とは、いわゆるコーディングというプログラミング言語を習得するという意味と、もう一つ、プログラミングを通して情報環境の構造を知り、粘り強く考えるとか、構造的に考えるとか、事象を部分と全体で分けて考えるとか、場合分けをするとか、そういう力を育む側面があります。これらの力は、何もプログラミング教育と言わなくても、先生方は現在の授業で、算数、理科、国語などでご指導いただいているところです。

すでに先生方がご指導いただいている内容をいかに子どもたちの血肉とするか。自分の力として生かせるようになったならば、子どもたちの次の時代を創っていく確実な力となるのだろうと思います。そのことがAIに使われるのではなく、AIを使いこなす、非常に重要な資質になると思います。

今回の学習指導要領の改訂の背景

現行の2008年の学習指導要領のときに、すでにゆとりか詰め込みかの二元論を乗り越えて、言語活動という横串を各教科等に通し、確実に能力を育むという構造にしました。

その結果、学習指導要領の改訂前から多くの先生方に大変なご尽力をいただいてOECDのPISA学力調査で続落していた2003年、2006年から、2009年、2012年では大変大きく回復しました。

これは学習指導要領を改訂したからというよりも、我が国の学校の先生方の大きな底力の結果だと考えております。私は10年前も学習指導要領の改訂を担当していましたから、本当に先生方には感謝しております。

ただ、いくつか課題はございまして、それが今回の学習指導要領の改訂の背景になっています。OECDの政策担当者からよく言われますのは、日本の子どもたちは、特に科学的リテラシーはOECDの中でも1位ですが、数学、理科を勉強することが楽しいとか、日常生活に役立つとか、数学、理科を使うことが含まれる職業に就きたいと思っている子どもの割合が少ないということです。すなわち、学び自体には食いついているのだけれども、何のための学びかについて、子どもたちは必ずしも自分ごととして理解していないのではないかということです。

高大接続システム改革の背景

それからもう一つは、PISAの学力調査において、我が国の15歳の子どもたち、義務教育を終えた子どもたちは、世界的にかなり高いパフォーマンスをあげているところですが、それが高校、大学と進学する中で引き続き伸びているのかというと必ずしもそうではないということです。最近の調査では回復傾向ですが、少なくとも1990年から2006年までの間に、特に学力のボリュームゾーンの高校生の学習時間が半分になっている状況があります。これが、文部科学省を挙げて高大接続システム改革を進めていく大きな背景になっています。

改訂の3つの視点

その上で、学習指導要領の議論がどのようになっているのか―。「何を学ぶのか」「何ができるようになるのか」「どのように学ぶのか」、この3つの視点でお話をさせていただきたいと思います。

特にこの中で重要なのが、「何ができるようになるか」という視点です。平成10年の学習指導要領の改訂は、知識から応用・活用へ、「From Knowledge to Application」という言い方をしました。教師は指導者ではなくて支援者だという言い方をしたのもそのころです。

しかし前回、今回の改訂もそうですが知識は大事だという大前提に立っています。知識がなければ考えることができません。「Application Based on Knowledge」というのが、前回の改訂の基本的な考え方ですし、その考え方は今回もいささかたりとも変わってはおりません。

我が国の先生方は、この130年間、子どもたちに知識を習得させる過程で、さまざまな形でものを考えさせてきました。これは他の国にはない我が国の教育の大変優れたところだと思います。

知識を習得する過程でものを考え、何ができるようになっていくのか。思考をするということ自体に、これまで以上に自覚的に取り組む。それが、日本の子どもたちが20年30年後の我が国、あるいは世界に新しい価値を生み出していく大変重要な力になってくると思います。

その際、私たちは、コミュニケーション能力や人間力、21世紀型学力などの抽象的な能力論からカリキュラムを規定していく、カリキュラム構造を変えていくことは考えていません。我が国の学校教育では各教科の中で、科学的なものの見方、考え方や、算数・数学的なものの見方、考え方など、教科固有の思考の枠組みが伝統的にあります。もう一度、このことを先生方に踏まえていただき、子どもたちに丁寧にご指導いただくことで、子どもたちの力が相当伸びていくと思うのです。

そういう観点から「どのように学ぶか」が、今回の議論の対象となっているところです。アクティブ・ラーニングという言葉ができたのもこの文脈です。

何を学ぶか

「何を学ぶか」について言えば、今回、義務教育においては、教える内容はほぼ変わらないとご理解いただければと思います。唯一変わるのは、小学校に英語科が導入されるということです。

〈英語〉

英語については、小学校英語だけが注目されていますが、われわれが重視しているのは高等学校を出る段階でどこまで力を付けるのかということです。

高等学校を出た段階で、英検でいえば準1級や1級を持った子どもたちを増やしたいとは考えておりません。それは他の教科の学びがないがしろにされることにもなり、英語が話せても中身がないということになってしまいます。だけれども、準2級から2級くらいの力を、最終的に7割の子どもたちが身に付けてほしいと考えています。当面の目標は5割です。現状は3割です。

そういう点から変わらなければならないのは、高校教育の英語であり、中学校教育の英語です。中学校において教科の中でもっとも時数の多い英語教育をどう変えていくのか。大きな課題ですが、それをやることを前提に、中学校教育の下請けではなく、小学校の高学年でしかできない英語教育を年間70単位時間やろうというのが一つのポイントです。

もう一つ、これに伴って国語教育も変えていきます。つまり英語教育を通して、英語を合わせ鏡にしながら、日本語の文の構造や仕組みの特徴をより深く知ることは、子どもたちの学びにとって大変大事なことだと思っております。今回は英語とともに、国語の教育も変えていくという議論を行っています。

その実施について、特に小学校高学年で70単位時間は、現在の35単位時間に比べてさらに35単位時間の確保が必要です。その時間の確保の仕方については、モジュールを使うこともあるでしょう。週29コマ目をぶら下げることもあるでしょう。あるいは15分と45分で60分の授業にするというところもあるでしょう。夏休みや土曜日を活用することもあるかもしれません。

いろんな形でいろんな工夫をしていただく際に、小学校高学年英語科についてはある程度の部分はモジュールで対応できるような、これまでになかったような教科書を作っていくと同時に、ICTを活用した音声教材、それから地域人材を含めた外部人材。この3つをセットで確実に条件整備することによって、小学校の先生が英語の授業をマネジメントでき、子どもたちの英語力を付けていくことができるような条件整備を、2020年までに確実に進めたいと考えています。

何ができるようになるのか

さて、「何ができるようになるのか」に話を移します。今回、各教科の本質をもう一度丁寧に可視化、構造化することで、子どもたちが何ができるようになるのかを組み立てていく議論をしています。抽象的な能力から各教科の在り方を規定するのではなく、各教科がすでに持っている固有の本質を組み上げていく、積み上げていく。その中で、これまで以上に教科横断で、教科同士が資質・能力レベルでどういう共通性や関連性があるのかが、より構造的に分かりやすくなる。同時に、これまで以上に各教科の本質とは一体何なのか、各教科において何のためにその学びを行っているのか、ということが、教える側も教えられる側もより分かる構造にしたいと思います。

その観点から、すべての教科において―、これは理科や社会、地歴公民だけでなく、芸術や体育も含めてすべての教科等において、この3つの資質・能力で構造化しています。

「何を知っているか、何ができるか」という知識・技能、「知っていること・できることをどう使うか」という思考力・判断力・表現力等、それから何より大事なのは、「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか」という、学びに向かう力、人間性です。

私どもは、これからは知識の理解の質が問われると思っております。これまで知識理解と言いますと、ばらばらな知識―、情報をどれだけ多く覚えているかが重視されていたわけです。

この事実的な知識は2つのルートを通って、概念的な知識、ネットワーク化された知識へと構造化されたものになります。

一つのルートは、科学的なものの見方、考え方、歴史的なものの見方、考え方という固有のものの見方、考え方を通して、それぞれの知識が概念化されていく。

もう一つのルートは特に芸術科目や体育などがそうですが、音符の知識や画材の知識といった個別の知識が、自分自身で表現したり鑑賞したりする中において、いわば身体知的に知識が構造化され、ネットワーク化されていく。概念的知識こそ大事だと、3つの資質・能力で各教科等の中身を構造化していく中で改めて痛感しているところです。

また、これまで学力の3要素と言いながらも評価は4観点でしたが、今回は評価も3観点で揃えるという議論をしているところです。

〈理科〉

理科の場合は、特に科学的なものの見方、考え方が、明確に伝統的に130年間の学校教育の歴史の中で育まれてきました。

例えば、小学校の「知識・技能」になりますと、「自然事象に関する性質や基本的な概念、規則性などの体系的理解」というものがあります。かつ、「思考力・判断力・表現力」としては、小学校3年生では比較の視点ですとか、6年生になりますと「自然の事物・現象の変化や働きについて、その要因や規則性、関係を多面的に分析し、考察してより妥当な考えを作り出す力」を育むことが位置付けられています。

「学びに向かう力、人間性」としては、「自然に親しむ態度」や「科学的な根拠に基づき判断する態度」。これらを、実験・観察などの中で、スパイラルに育んでいくということが議論されております。

理科の場合は、エネルギー、粒子、生命、地球という分野がありますが、これらの学問分野があるから子どもたちに教えるというだけではなく、この4分野を教えるということが子どもたちにとって必要などのような力を育むのか。物理では自然の事物現象を主として質的に関係的に捉える力ですとか、化学ではそれを質的、実体的に捉える力といったように、この学びを通して、どういう力を育むのか、それが子どもたちになぜ必要なのかを全体を通して整理しています。

〈社会〉

社会は、①考察する力②構想する力③説明する力④議論する力―、この4つの力を軸にしながら、小学校の中学年から社会科において、歴史的なものの見方、考え方、地理的な見方、考え方、それから社会的事象を捉えるためのものの見方、考え方を一つひとつ押さえながら指導していくことが大事だと思います。

社会科については、問いを立てていく。例えば、高校では、歴史総合という日本史と世界史の枠を取り払って、近現代の歴史の転換点に着目して学ぶ科目を必履修科目にしようとしています。歴史の転換点の一つが大衆化であります。その大衆化で言えば、普通選挙法が導入されて男子について普通選挙が実施され、政治的にも文化的にも大衆化が進んだ。それにも関わらず「なぜファシズムが進んだのか」といったような問いに対して、子どもたちが歴史的事象を比較する、因果関係で捉える、相互作用で考えるといった歴史的なものの見方、考え方を活用して考えていくことになろうかと思います。

〈言語〉

国語も外国語も、また社会、理科などにおいても、すべての言語活動が、読むこと、書くこと、聞くこと、話すことというように、活動ごとにぶつ切りではなく、テクスト・情報を理解し、それを認知から思考する。そして思考から表現するという、この一連の流れの中で情報を多面的に吟味し構造化する力が必要です。

この力が必要であることを前提に、教科書や教材も、授業の中身も位置付けていくことが求められてまいります。国語科における学習活動も、読むこと、書くこと、聞くこと、話すこと、それぞれについてどういう資質・能力を育むのかが明確にされ、かつ相互の関連性がこれまで以上に重視されるという構造になっています。

〈算数・数学〉

算数、数学の世界での課題解決のループと、それを日常生活や社会生活などにおける現象にまで広げて、現実世界と算数・数学の世界をつなぐということが、これまで以上に重要になっております。前回の改訂で重視した統計に関する分野をさらに充実させていく議論が行われています。

どのように学ぶか

これまで以上に、知識の理解の質が問われています。単なる事実的な知識を理解するということではなくて、各教科等の固有のものの見方、考え方を通して、概念化され構造化された知識にどう転換させていくかです。

そこで、重要になってくるのが「どのように学ぶか」です。アクティブ・ラーニングの観点からの授業改善には3つの要素があるといわれています。

それは、「深い学び」「対話的な学び」「主体的な学び」ということですが、「対話的」とか「主体的」というのは活動に落とし込みやすいので、すぐに先生方にご理解いただけると思います。

しかしながら、アクティブ・ラーニングでもっとも大事なのは、「深い学び」だと思っております。深い学びにするためにこそ、各教科を3つの観点から構造化していき、それぞれの教科、それぞれの学年、それぞれの単元、それぞれの授業でどういう資質・能力を育てるのかピン止めしていって、そのための学びをデザインすることが求められているわけです。「深い学び」は、今回の改訂の大変重要な要素であります。

アクティブ・ラーニングの側面

アクティブ・ラーニングについて、もう一つの側面についてお話させていただきたいと思います。

SESという指標において、ご家庭や地域の環境が厳しいながらも、全国学力・学習状況調査の結果などから、見込まれる学力を大きく上回っている学校が、どういうことに取り組んでいるかということを分析した結果があります。全国調査の結果から見ても、厳しい環境の学校であっても、本当に大きな成果を上げられている学校があることが分かっています。

そこで取り組まれているのは、▽表現力、課題探究力の向上▽授業スタイルの改善▽家庭学習の指導との連携▽学力調査の活用▽少人数、TT、補充学習▽学校外リソースの活用▽実践的研修、研修効果の活用などです。それぞれ大変地味な取り組みに見えるかもしれませんが、この地味な取り組みの一つひとつがばらばらでなくて、管理職の皆さんのビジョンに基づいて相互につながりながら実施されていることが、大きな成果を挙げている背景ではないかと思います。

例えば、東京都足立区の小学校では、地域の環境が厳しいところが少なくないわけですが、子どもたちの習熟度に応じて、さまざまなメニューを用意しておられます。特に区独自で行われている「育ち授業」というものは、例えば、分数、少数の掛け算、割り算が高学年でも分かっていないという子どもたちには、取り出し授業をやって分からせて、また戻すということに取り組んでおられます。

こういうことが、アクティブ・ラーニングの前提として大事だということも強調しておきたい点です。

よくアクティブ・ラーニングと言われますと、「授業中に5分間、話し合いを行わなければならない」とか「この型で授業をやらなければならない」といった議論があるとお聞きしておりますけれども、アクティブ・ラーニングとは、深い学びをすること、そして子どもたちにアクティブ・ラーナーになってもらい、子どもたちの力に応じて授業に主体的に参加してもらうことが大事です。

目の前の子どもが、基礎基本を分かっていないという状況を把握できておきながら、とにかく形を揃えるために、5分間話し合い行うということをやらないとアクティブ・ラーニングではないという考え方は、私は間違いだと考えております。

やはり、子どもたちに基礎基本が足りないのであれば、教え込みに見えたとしても、きっちり知識を習得させて子どもたちがアクティブ・ラーナーとなる素地をしっかり作っていく。そして、アクティブ・ラーニングの観点に基づいた授業改善を実現していく長期的な見通しこそ必要ではないかと思います。

コンテンツ本位の学校情報化

今年度中に、文部科学省、経済産業省、総務省と一緒になって、いわゆる官民コンソーシアムを作りたいと考えています。これは、例えば、小学校のプログラミング体験は、簡単なスクラッチを体験しましょうというもののみならず、理科の実験のシミュレーションや音楽の表現、あるいは算数の文章題などで、仮にプログラミングを入れることができるのなら、その必然性の中で、子どもたちが「なるほど、コンピュータとか情報環境はこういう構造になっているのか」ということが分かるようなソフトウェアやシステムをどう作っていくのか。また今は、ICTにあまり関心がなく、目の前の子どもたちの学力を付けることに全力を尽くされている先生にとって、ICTがどう役に立つのかということを率直に議論できる場を作りたいと思っております。

これまでのようにハードを入れて、それを学校で使ってくださいというICT化ではなく、学校の真のニーズに基づいた、コンテンツ本位のICT化も進めていかなければならないと考えております。学校の先生方の側から、こういうICT化であれば使えるというものが何なのかという議論を、これから徹底していきたい。どういう資質・能力を育むのか、基礎学力の定着という観点からICTがどう使えるのかということを、コンソーシアムの中でしっかり考えていきたいと思います。

学習評価を3観点で

学習評価についても、今回は3観点で行うことになります。知識・技能については事実的な知識のみならず、構造化された概念的な知識の獲得に向かうことを見ていく、これまでの知識理解の評価の仕方とは、かなり違う形で評価をしていく必要があります。思考・判断・表現についても、各教科等の特性に応じて育まれる見方や考え方を用いた学習プロセスを通じて評価するということが、大事になってまいります。

主体的に学習に取り組む態度については、観点別評価になじむ点につきましては、子どもたちが学習に対する自己調整を行いながら、粘り強く知識・技能を修得したり、思考・判断・表現しようとしているかについて評価するということです。

その際に、単元や題材のまとまりの中で、子どもたちが学習の見通しをもって振り返る場面を適切に設けるということにして、毎回毎回ノートを確認するとか、手を上げた回数を数える、そういうことに先生方の貴重な時間を使うことがないようにしなければならないと考えているところです。

高等学校基礎学力テスト、大学入学希望者学力評価テスト

義務教育で育まれた子どもたちが、高校、大学とすくすく伸びているか―。必ずしもYESとは言えない状況です。特に、普通科の一部では大学入試の選抜性が低くなってしまったことに伴い、全く学びのインセンティブがなくなっていることがあります。かつて普通科は学びの質の保証を大学入試のみに依存していましたが、それが今機能しなくなっているのです。

そこに対して、高等学校基礎学力テストを構想しております。これは、この水準に達しなければ高校を卒業させないという性質のものではありません。入学したとき10級だったけれども、がんばって5級、4級までいったよねと、そういう学びのインセンティブとなるような仕掛けを作っていこうというのが高等学校基礎学力テストです。

同時に、共通一次以来、5択の中から一つ正解を選ぶということをやってきたセンター試験。これを大学入学希望者学力評価テストへと変えてまいります。その中では、必ず条件付きの短文の記述問題を入れます。それから、5択の中から一つ正解があるというのではなく、択一ではないマークシートも導入していきたいと思います。

少なくとも高等学校の教育が、5つの中から一つ正解を選べば良いという、その程度の知識の持ちようで良いという学びから脱却しなければならないと思っております。

カリキュラムマネジメント

最後に、今回、何と言ってもカリキュラムマネジメントが大事になってくると考えています。教務主任の先生方が、各教科の先生方に時数を割り振ったらそれでお終いではなくて、割り振った先にその授業をどのようにデザインするのかが、求められます。そういった観点から今回のカリキュラムマネジメントは、すべての先生方に関わる問題です。その中でICTを活用する必要性・必然性・教育的な効果が出てくるのではないかと思います。

引き続き、先生方と対話しながら、改訂作業を進めてまいりたいと思います。よろしくお願いいたします。

タブレット端末活用セミナー2016東京会場「学習指導要領改訂の動向とアクティブ・ラーニング」(2016.4.23)特別講演より
(2016年6月掲載)