教育情報化最前線

1人1台活用は次のステップへ 個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実とICTの活用 子ども主体の学びを「洗練化」し、「学びとる」教育へ

1人1台端末の活用は全国的に、とにかく使ってみることから、新しい学びを促すような活用へと変わってきています。今後、どのような学びの姿を想定して1人1台端末の活用をさらに充実させていくのか、中川 一史 放送大学 教授に解説いただきました。

中川 一史教授

放送大学

1人1台を活用し、「教え込む」から「学びとる」教育へ

これまでの日本の高度経済成長は「みんなと同じことができる」「言われたことを言われたとおりにできる」という教育が支えてきました。ところがこの数十年、それだけでは立ち行かなくなってきました。「正解(知識)の暗記」だけでなく、「自ら課題を見つけ、それを解決する力」あるいは「他者と協働し、自ら考え抜く学び」が必要な時代へと移行しているのです。ですから教育も、「教え込む」から「学びとる」教育へと移行する必要があるといえます。

そうしたなかで、GIGAスクール構想により児童生徒に1人1台端末が整備されました。整備から3年目を迎える今、「とにかく使ってみる」というフェーズを超えて、次のフェーズへ向かうこと、つまり「教え込む」から「学びとる」教育へと移行するために、1人1台端末を有効に活用することが求められています。

個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実で、子ども主体の学びを「洗練化」する

私が「学びとる」教育を実現させるにあたり、一番の大きな壁になると思うのが、教師による一斉授業から子ども主体の学びへ転換すること、そして教師の役割がティーチングからコーチングへと移行することです。「学びとる」教育は、スローガンとしては誰もが理解できると思いますが、実際の授業で具現化していくのは難しい問題です。

ですが私は、これからの教育の在り方は、協働的な学びと個別最適な学びを一体的に充実させ、子ども主体の学びを「洗練化」することにつきると考えています。誤解を恐れずに言うと、教師がある意味、不親切になることが大事なのです。これまでは、真面目な教師であればあるほど手取り足取り教え込み、結果として、児童生徒は受け取るだけになり思考停止を生んでしまいました。児童生徒に多様な選択肢を用意し、その選択肢の特性を理解させるような機会を作り、またそのような場をカリキュラムの中に埋め込んでいかなければならないと思います。

洗練化① ICTで「子ども自身が」学習が最適となるように自ら調整する

中央教育審議会においても、2020年代を通じて実現すべき「令和の日本型学校教育」の姿として、個別最適な学びと協働的な学びを一体的に充実させることが大事だと示しています。

個別最適な学びでは、教師が児童生徒1人ひとりの実態に応じて指導を個別化していく必要があります。そしてさらに重要なのが「学習の個性化」だと思います。「教師が」ではなく、「子ども自身が」学習が最適となるように自ら調整することが必要になるのです。

こうしたことをどれだけ保証できるのかが大きなポイントで、それを支えるのがICTの活用です。

例えば、『SKYMENU Cloud』の[発表ノート]は、自分の考えを書きやすく、消しやすいです。この「消しやすい」ということが一つのポイントで、消しやすいからこそどんどん書き、自分の思考を可視化できるのです。また、[発表ノート]は、残しやすく、比べやすいというメリットもあります。前時に書いたノートと本時のノートを比べて、どういうところを書き足したのか、成長の足跡を自分自身で確認しやすいということも、学習を自ら調整する上で大切なことです。

洗練化② 学習支援ソフトを活用する協働的な学びで、考えを深め、広げる

図1

そして、中央教育審議会の資料には、協働的な学びについて「一人一人のよい点や可能性を生かすことで、異なる考え方が組み合わさり、よりよい学びを生み出す」と書かれています。私もこうした合意形成の機会が学習場面の中でたくさん保証されるべきだと思いますし、そこにICTを活用することで、より一層充実させられると考えています。

児童生徒が友達と意見交換する際の協働のプロセスを見てみましょう図1。まず友達の意見を聞いて自分の意見と比べ、共感したり、違いを感じたりします。そして、その共感や違いを踏まえながら、自分の意見を述べます。

この図1の①②③の協働の途中段階で、1人1台端末や学習支援ソフトウェアを活用すれば、自分の意見やその意見の変容がより可視化され、児童生徒がそれぞれに考えを深めたり、広げたりしていくことができます。

例えば、『SKYMENU Cloud』の[シンプルプレゼン]は書き込める文字数に制限があるので、自分の意見をまとめやすく、友達に意見を伝えやすいです図2。また[ポジショニング]は、マーカの位置で自分の考えを示すことができます図3。動かしやすく、クラス全体で考えを共有しやすいです。こういったものを場面に応じて活用してほしいと思います。

書き込める文字数に制限があり、意見をまとめやすい[シンプルプレゼン]
図2書き込める文字数に制限があり、意見をまとめやすい[シンプルプレゼン]
マーカの位置で自分の考えを示せる[ポジショニング]
図3マーカの位置で自分の考えを示せる[ポジショニング]

「学びとる」教育の実現には、従来のICT活用の枠組みを超える必要がある

これからさらに、1人1台端末を「学びとる」教育の実現に向けて活用していくためには、ICTの活用段階について理解しておく必要があると考えます。そのために大切なのが、「SAMRモデル」を視野に入れることです図4。「SAMRモデル」とは、10年ほど前にフィンランドの研究者が出したICT活用の段階を4段階に分けて示したものです。

例えば何かメモをするとき、紙にも書けるし、PCでも入力できます。第1段階は、デジタルでもアナログでもどちらでも対応できるようなものです。第2段階は、保存・共有したり、拡大して表示したりというICTならではの効果的な活用を指します。さらに第3、第4段階と続いていきますが、前述の図4では第2段階と第3段階の間に点線が入っています。この点線には非常に大きな意味があります。

第1、第2段階は「これまでの枠組み内での増強」、つまりこれまでのツールをICTに置き換えることができるという段階です。第3、第4段階は、「枠組み自体の変革」だと言えます。

マーカの位置で自分の考えを示せる[ポジショニング]
図4ICT活用の段階を示した「SAMRモデル」

「2.5段階の壁」をどう超えるか、学校や地域で議論を。

板書は何のため? ICTに限らず、これまでの考え方を見つめ直す

「枠組み自体の変革」とはどういうことでしょうか。小学校でも、中学校でも、授業の中で型のあるワークシートや思考ツールが活用されていると思います。ですが例えば、私たち大人が何かの講演を聴きながら紙やPCを使ってメモをするとき、きっとそのメモには、決められた枠組みは用意されていないはずです。このように子どもたちもいずれ、型のあるものから抜け出さなければなりません。では子どもたちは、こういったことが、いつからできるようになればよいのでしょうか。教師は考えていく必要があるのです。

このようにICTに限った話ではなく、これまでの考え方を変えていくことが第3、第4段階の「枠組み自体の変革」に当たるのだと私は考えています。もう少し例に出して考えてみましょう。

本時のまとめは誰がする?

本時のまとめは誰がするのでしょうか。授業見学に行くと、多くの学校で教師が授業の最後に今日のまとめを黒板に書き、児童生徒がそれを書き写すという状況を目にします。なかには、スマートフォンで黒板を撮影して記録することもあるかもしれません。それは、活用の第2段階だと言えるでしょう。

ですがこれからは、書き写したり、デジタルで記録したりするだけでなく、子どもたち自身が自分の言葉で本時のまとめを考えられるようになるべきです。そして教師は、子どもたちがいつからそれをできるようになれば良いのか、考えていかなければなりません。もしかするとICTを活用しないかもしれませんが、こうしたことができるのも立派な第3段階です。

「まとめる」と「伝える」の区別は?

図5学習活動では、「まとめる」と「伝える」がシームレスになる

「まとめる」と「伝える」は区別するべきなのでしょうか。例えば、私たち大人は、PCを使ってメモをしますが、そのメモを使ってそのままプレゼンテーションはしないでしょう。それは、これまでメモとプレゼンテーションのそれぞれに適したソフトウェアを活用してきたからだと思います。

ですが、学習活動において、児童生徒が[発表ノート]にメモをしながら、それをそのままグループでのプレゼンテーションに使用するということは往々にしてあることです。これからの学習活動では、メモ的なものとプレゼン的なものがシームレスになっていきます図5。教師は、そういったシームレスな状況に対して、ソフトウェアをどのように活用していくのか、活用場面をイメージすることも求められているのです。

板書は何のために?

写真1教師だけでなく、子どももホワイトボードに書き込み議論する(熊本県小国町立小国小学校)

板書は何のためにするのでしょうか。現在はその多くが、教師が児童生徒から出た発言や授業の流れを整理するものとして使われています。ですが、熊本県にコンピュータ教室を改築し、壁一面にホワイトボードを設置した小学校があります。教師だけが書くのではなく、グループワークで出た意見をホワイトボードに書き留めて議論するという児童生徒も使う共有のスペースになっています写真1。こういったことは、教室の黒板でも同じようなことができます。やはり、これまでの考え方・発想を転換することが必要なのです。

学びの差配は誰がする?

さらにもう一つ。学びの差配は誰が行うのでしょうか。これまで、授業をきちんとまとめるのは教師の役割でした。100%近くの教師が授業を進行し、学びを差配していたと思います。しかしこれからは、ICTによって児童生徒が情報にアクセスしやすくなることで、児童生徒自身が学びを差配できるようになります。だからこそ、私たち教師が、個別最適な学びと協働的な学びの場面をより一層充実させた授業を実現することが求められるのだと思います。

今例に挙げた点だけに限らず、さまざまな場面でこれまでの考え方を変える「枠組み自体の変革」が求められます。先ほど、図4の第2段階から第3段階の間の点線に大きな意味があると言いました。この点線は、「2.5段階の壁」と私は呼んでいますが、非常に大きな壁です。この壁をどのように超えるのか、学校や地域で議論をしていただきたいと思います。

(2023年2月掲載)