学習指導要領/教育の情報化

学校教育で育む「メディアリテラシー」

子どもたちに普及が進んでいる、携帯電話、携帯ゲーム機、スマートフォン…。 今、子どもたちがさまざまなメディアと付き合っていくために身につけるべき力とは何なのか?学校で育むべき力とは何なのか?原克彦・目白大学教授と中橋雄・武蔵大学教授に話し合っていただきました。

原克彦教授と中橋雄教授

兵庫県尼崎市立小学校教諭、尼崎市教育委員会指導主事、園田学園女子大学助教授等を経て、現在、目白大学人間社会学部メディア表現学科教授。専門領域は、教育工学、情報教育。

福山大学専任講師、独立行政法人メディア教育開発センター客員准教授(併任)を経て、現在、武蔵大学社会学部メディア社会学科教授。専門領域は、メディア・リテラシー論、教育工学。

大人から見えにくい子どものコミュニケーション

中橋先生は、「メディアリテラシー」に関してさまざまな研究や実践を進められていますが、今日は学校教育で指導すべき、子どものメディアリテラシーについて、さまざまな角度からお考えをお聞かせください。

早速ですが、子どもの周りで携帯電話やスマートフォンが普及してきています。また、タブレット端末や持ち運びのできるゲーム機も普及しています。これらの多くはインターネットに接続でき、子どもたちはさまざまな情報を入手できます。

子どもたちがこれらの携帯情報端末を適切に使う上で必要なメディアリテラシーについて、どのようにお考えですか。

マスメディアやインターネットなどのメディアは、価値観の形成という点で人間形成に大きな影響力をもっています。子どもがメディアに触れる時間は長く、その影響力を無視することはできません。

例えば、インターネット上には誰が発信したかわからない、悪意のある情報も多くあります。高度情報化社会において、子どもたちは、これまでマスコミが発信してきた情報とは質的に異なるような個人が発信する情報に触れることになります。

それらを見分けて、自分にとって有益なものを取捨選択する力や、あるいは自ら情報発信していく力も必要でしょう。双方向のコミュニケーションをとる力を身につける必要があります。

また、子どもが携帯情報端末を持つことで、大人からは見えにくいところでコミュニケーションをとることが増えています。子どもは、子ども同士だけでなく、親が知らない大人とコミュニケーションを取っている可能性もあります。これは、子どものメディアリテラシー教育を考える上で重く受け止める必要があることだと思います。

学校教育への期待が高まるメディアリテラシーの育成

小、中学校の新しい学習指導要領では、情報モラルの指導を道徳や教科指導の中で行うこととなっていますが、メディアリテラシーという観点から、学校教育の役割をどのようにとらえることが必要でしょうか。

情報モラル教育の分野において、学校教育が担う役割はとても大きいと思います。義務教育の段階で、高度情報化社会において共通のベースとなる知識を教え、情報社会に参画する態度を養うことが重要です。

しかし、現実はそこまで時間をとって、十分な教育ができていません。行政からの方針の提示や、学校教育における具体的な取り組みを検討していく必要があるでしょう。

一方で、家庭での教育も非常に重要になってきます。子どもの周りに、そのようなコミュニケーションをとれる環境があることを、まずは大人が理解することが必要です。

もちろん、そういった環境があることで、グローバル化社会に対応できるような、海外の人とのコミュニケーションを容易にとれるような場が開かれていることは、非常に価値のあることだと思います。だからこそ、それらをどう上手く活用していくかが問題なのです。子どもに任せるのではなく、保護者が寄り沿い、どのようにコミュニケーションをとっているのかを把握するなど、いざというときは保護者が介入できる位置で見守ることが必要です。

情報を読み解き、表現、発信する活動

コミュニケーションをうまくできる力は、とても重要だと思います。それでは、その力を小、中、高等学校の各段階で、子どもたちに等しく身につけさせるには、具体的にどのように進めることが必要でしょうか。

まず、子どもが大人になった時に、どのように情報社会に参画していく、あるいは、メディアに接していくのが望ましいのかということについて考える必要があるでしょう。

メディアは、単なる情報の羅列ではなく、社会的な影響力、つまり、社会を変えていく力を持っています。自分が世の中を変えていくこともできますし、他人も世の中に影響を与えるような情報発信ができるということです。その中で、自分はどのような責任を持ち、人として生きていくのかを考えられなければならないでしょう。

では、小学校では何を教えていくべきでしょうか。

私は、自ら情報を主体的に読み解くことや、情報を表現、発信する経験をさせることが重要だと思います。送り手の立場に立つことによって、情報を構成するとはどういうことか、身の周りにある情報がいかに送り手の意図によって構成されているのかを認識することができます。そして、その意図を実現するために、技術や表現技法が工夫されていることも学べるのではないでしょうか。

メディアとコミュニケーションの問題は、公式に当てはめたら正しい答えが出てくるといった単純なものではありません。さまざまな変数の相互作用の中でコミュニケーションがとられている、そういう体験を小学校の段階で多く積むことが重要だと思います。

小学校段階では高度なものとして、表現の自由と規制の問題があります。ある人にとっては何でもない表現が、ある人には非常に不快に感じることがあります。こうしたことは、社会における文化的な背景の理解を含めて考える必要があるためハイレベルです。中学校、あるいは高等学校の段階に設定するべきでしょう。

小学校では、他者のことを考えながら、自分自身に役立つ使い方を考え、中学校では、他者のことをより一層意識しながら自分や社会に役立つ使い方を考えるように指導し、高等学校では、社会との関わり、つまり世の中に役立つ使い方を考えるように指導することが大切だと考えています。

このように、小、中、高等学校と段階を経ながら、メディアをうまく活用する力をつけていくことが必要だと思います。

教科指導の中だけでは困難

小、中学校の各段階で、例えば情報の取捨選択等の情報教育の目標を各教科のさまざまな要素や目標と絡めながら学習させることが必要になってきていますが、教科教育では難しいかもしれませんね。

旧来からいわれている情報教育の考え方としては、教科横断的に教科指導の中で、学習内容に関わることに情報の学習を取り入れていく、となります。それは重要なことで、多様な教科学習の中には、必ず情報と関わる部分があります。そこを抑えていくことは必要です。

しかし、体系的に進めていくためには、相応の教科が必要と考えます。もし、それが難しい場合でも、総合的な学習の時間などで課題解決をしていく力の一つとして、一定の時間をそこに割り当てることが大事だと思います。

家庭や社会にあるメディアをトレーニングできる環境が必要

原克彦教授昔は、子どもたちは教科書や先生が黒板に書くことから、さまざまな知識や情報を仕入れていました。

最近は、教室でもさまざまなメディアが増えてきましたが、それでもまだ教科書が中心かもしれません。

一方で、子どもたちは家に帰れば遊びや生活の中で、さまざまなメディアを使っていて、そこから多様な情報を仕入れています。このような現実を先生方に理解していただくことが必要です。そして、子どもたちにこれらのメディアを活用して情報を取捨選択させたり、判断させたりするような活動を取り入れるべきだと考えています。

子どもたちは、さまざまなメディアを使っていますが、メディアリテラシーを指導するときに、学校にはどのような環境が備わっていることが必要だとお考えですか。

実際に家庭や社会にあるものが学校にないとなると、社会とのギャップが大きくなってしまいます。以前は家庭にコンピュータがなくても学校にはコンピュータがありました。今では、ほとんどの家庭にコンピュータがあり、その性能は学校のものより遥かに高いということがあります。

タブレット端末やスレート型の端末、スマートフォンなどを多くの人が持つようになってきています。

こういった機器の環境に学校が対応していくことは必要なことでしょう。

現在、教育におけるICT活用が推進されていますが、教科の目標を達成するためのICT活用であっても、子どもに一定のメディアリテラシーを育むことができるはずです。このアプローチもとても重要だと思います。

さらに、社会的なコミュニケーションとしてメディアを活用するような場面を、学校でトレーニングできる環境が必要だと思います。

大人も子どもと一緒に学ぼう

子どもたちが将来社会に出てメディアを仕事や生活に活用するようになるときには、文字や写真だけでなく、動画などを簡単に活用してコミュニケーションをとる時代がくるかもしれません。

今の学校教育は「わかりやすい文章を書きましょう」という教育はしていますが、「わかりやすい写真や動画を作りましょう」というような指導をしていません。しかし、それらを使ってコミュニケーションをおこなったり、情報を共有したりする時代がやってくると思います。

中橋雄教授今の大人も十分なメディア教育を受けて育ってきたわけではありません。そのため、大人も子どもと一緒に学んでいく必要があると思います。その中で、子どもたちにどういった力が必要かという理論的な部分と共に、実践的な教育活動のあり方を考えていく必要があると思います。しかし、それを考えるための前提が整っていません。

まず、教科の時間として設定されていないために、教師や保護者に「メディアリテラシーを重視すべき」という認識が欠けていることです。学習指導要領で教科の時間として設定されること、教科書で取り扱われるといったことがなされなければ、「重要なもの」であると大人の中で共通に認識されることは難しいでしょう。まずは、制度の面を整えることが重要だと思います。

そして、そうした社会の意識改革と共に、それを実現するためのハードウェアやソフトウェアといった機器環境も必要になってくるでしょう。

日常生活の中で動画を使ってコミュニケーションをとる機会があるわけですから、そのトレーニングができるような環境を整えていく必要があると思います。

コミュニケーションにおける「葛藤」を体験させる

近年、学校教育では携帯メールなど携帯電話を用いたコミュニケーションについて指導していると聞きますが、新しい技術が次々と生まれ、将来どのようなメディアが出てくるかわからない状況の中で、今、学校教育で必要な不易の情報モラルの教育をどのようにお考えですか。

教え込むだけでなく、考える力を養うことです。それは将来、さらに新しいメディアが生まれた時に、それらに対応できるように、自ら学び続けていける力をつける必要がある、ということです。考える力をつけるためには、「葛藤」があるような人間のコミュニケーションの場面を実感させることが重要です。例えば、自分が何かを伝えたいと思って一生懸命努力して作ったモノであっても、ほかの人から「これはちょっとわからないよ」といわれるような経験です。

相手との知識、文化の違いから生じるズレを実感することで、自分の考えを相手に100%伝えることはできないという前提に立ち、それでも100%に近づけていくために努力を重ねることの重要性について学んでもらいたいと思います。

そして、その努力をしながら、新しい技術が出てきたときにそれらをどう活用するか、新しいメディアの特性をどう生かすか、ということを自分で考える力が必要なのだと思います。

モデルになる好実践を共有する

今後新しい情報通信機器が普及することを考えた時、それらの特性を的確に掴み、判断して、適切な使い方を自分で見つけていくためには、今の学校教育のどのような内容を求めますか。

学校教育の場面においても、新しい学習指導要領の中ではメディアを活用して学ぶことを示した記述が増えてきています。映像と言語を組み合わせて思いを伝えたり、新聞制作や番組制作をしたりする活動が、言語活動例として示されています。

しかし、「何を学ばせるか」といった明確な目標が設定されていないために、ただ作って終わりという授業も見受けられます。

メディアの特性や社会的な影響力を理解するために、どういった教育方法があり、どのような役立つ教材があるのかを伝えていかなければなりません。

小学校の国語では、「アップとルーズで伝える」とか、「ゆるやかにつながるインターネット」などの単元があります。中橋先生がいわれたメディアの特性を理解させたり、社会の影響力を考えさせたりするような教材は整い始めてきていますね。

しかし、国語の授業を見ると、書いてある文書を読み取ることや、筆者の考えを書かせることが中心で、わかりやすく伝えることやメディアの特性を理解して伝えることなどの部分が指導されていないことがあります。これらを上手く進めるためには何が変わればよいですか。

モデルになるような実践を共有することではないでしょうか。上手くいっている実践を、多くの先生が知るような場が必要だと思います。それは、映像コンテンツで提供する、研修会で授業づくりについて学ぶ、実践事例報告を聞くなどさまざまな方法があると思います。

学校教育の中で子どもたちにメディアリテラシーをつけていくには、まだまだこれから課題もたくさんあると思います。しかし、将来子どもたちが社会に出て役立つ力の一つとして、このような力は必要になると考えています。学校の授業を通して身につけることができるような指導ができるようになっていってほしいと思います。さまざまな角度からの考え方を紹介していただき、ありがとうございました。

(2011年11月掲載)